礼拝の話

2022/12/22 

12月15日(木) 聖書 マタイによる福音書 22章36~40節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

先日、ある方から「乃が美」のパンをいただきました。

「乃が美」は有名な高級食パンの専門店で、いただいたのはジャム付きのセットでした。

私はパンにこぼれるほどのジャムを塗るのが大好きです。

私が乃が美のパンを切り、付属のジャムを思いっきりつけようとすると、妻に止められました。

「この説明書きには、最初は、何もつけずにそのまま手でちぎって味わうのがいいらしいよ。ジャムは二日目だって。」

いやいや、僕には僕の食べ方がある、と思いながらも、専門店側の言葉が気になってしまい、ジャムを付けるのをやめました。

そして、しぶしぶ、何もつけずに食べてみると、とても甘い味が口の中に広がっていきました。

このパンを作られた方々は、まずはそのままのパンの柔らかさと、甘みを味わってほしい、そのような思いが込められていることが良く分かりました。

やっぱり、作った側の人の言うことは聞くべきだなあ、と思いました。

さて、私たちが持っています聖書にはたくさんの神の掟が出てきます。

厳しいルールを見る時に、私たちは大事な視点に気づきたいと思います。

それは、このルールを定めたお方のお気持ちです。

聖書は、神がこの世界・人間を造られたと教えています。

聖書の掟は誰よりも世界と人間のことを知っておられる方が定めておられるルールです。

わたしたちにとって最善のルールを与えてくれています。

今日、読んでくださった聖書に目を向けたいと思います。

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

このようにイエスは、すべての掟はこの二つに基づいているとおっしゃいました。

それは一言で言えば「愛」ということです。

わたしたち人間が最善の道を行くルール、それは私たちが「愛を持つ」ということです。

でも、どれほど、私たちの世の中は愛が失われているのでしょうか。

今年は特に2月でロシア軍のウクライナへの侵略戦争が起きました。

そのことが大きく取り上げられますが、世界にはまだまだ終わっていない紛争が多くあります。

アフガニスタン、シリア、トルコ、イエメンなどの紛争は、今も継続的に続いています。

多くの血が流されています。

作った側の意図を裏切る、人間・世界の姿こそ、私たちの現実ではないでしょうか。

もうすぐ一年が終わります。

こういう世の中だからしょうがないと、割り切って他人ごとのように私たちは新しい年を迎えるのでしょうか。

神の定められた掟を完全に体現できている世の中を想像してみましょう。

そうすれば、神の掟がどれほど素晴らしいことかと思います。

そして、今よりも、どれほど平安に過ごせるのかと思います。

そのような世の中を実現させるためにイエスは2000年前に誕生されました。

そのことを心に留めるのがクリスマスです。

このクリスマスの期間に、私たちは、私たちを造られた方の思いに目を向けたいと思います。

そして一緒にこの世界に愛を膨らませていきたいと願っています。

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