礼拝の話

2020/12/16 

12月15日(火)聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 12章9節 英語科 菅田

クリスマスを迎える準備の時期になると思い出すことがあります。

高校1年生の寮生活のことです。

当時私は自分の寮の1年生をまとめる役割を担っていました。

寮生全員が集まって食事をするホールではクリスマスに飾りつけをします。

この飾りつけは1年生がする伝統があり、私たちにはこれが初めての大仕事でした。

同じ寮の2年生の先輩に前回の飾りつけの写真を見せてもらいながら「この飾りつけは各館の1年生の力をみんなに見られているから頑張れよ。」とプレッシャーをかけられました。

写真を見せてもらってすぐに飾りつけを考えるミーティングを1年生で開きましたが、私はアイディアを出すのが苦手で、いいものが思いつきません。

飾りつけのアイディアのミーティングが一向に進まず、だらだらと時間だけが過ぎていきました。

ミーティング中に関係のないことを話す者、ラーメンをすする者、ゲームをする者、寝ている者などもいました。

そして、私のことを心配そうに見る仲間もいました。

他の寮は飾りを作り始めているのに私の寮だけが飾りつけの準備を始めることができません。

アイディアを出すことへの苦手意識と成功させないといけない責任や焦りで完全に空回りしていました。

「このままでは大失敗になってしまう。あー自分はなんてダメなんだ。」

そんな思いがぐるぐる頭の中を回ります。

このままではいけないと思い、寮の先生に相談をしに行くと「もう一度自分でミーティングを開いてその気持ちをそのまま、ミーティングで話しなさい。」と言われました。

どうしていいかわからず、何も手につかずふさぎ込み、何日か経って、考えていてもどうしようもないと感じ、緊急のミーティングを開きました。

クリスマスの飾りつけお披露目の1週間ほど前のことでした。

このミーティングでアイディアを固めて準備を始めないと完全に間に合わないことを話していたら、段々と泣き声になっていました。

そして最後にみんなに向かって「助けてくれ」と言ったのを覚えています。

話し終え、泣きながら助けを求める自分に「なんてダサいんだ。」と思いましたが、変化がありました。

気づくとミーティングでは関係のない話もなく、ラーメンをすする音、ゲームの操作音、寝息は全く聞こえなくなっていました。

ラーメンを置いた彼が私に対して「そんなに苦しんでいるとは思わなかった」と一言。

次々、呼応するようにみんなが私に声をかけてくれました。

その時から飾りつけの準備がスタートしました。

日数的に時間がなく、できることは限られていました。

飾りつけのお披露目を迎え、自分たちで見ても出来は4つの寮のうち4番目でした。

そういう意味では誇ることができませんが、確かなことを私は学びました。

それは素直に行動することの難しさやそれが実行できたときの影響力です。

ふさぎ込んでいた時、私は責任感につぶされそうで苦手なことをできるように見せようと見栄を張っていたと思います。

言動も、できない自分を見せたくないがために上から目線になっていたのかもしれません。

また、自分を気にかけてくれる仲間の存在に気づけず、相談することもできませんでした。

私が素直にありのままの自分で話をしたことで今まで何もしようとしなかった仲間も動いてくれました。

自分が素直になって他人と向き合うことで他人にもそれが通じ、協力の空気を生み出しました。

この出来事を通して私はその仲間たちと深くつながった経験を持ちました。

今日の聖書箇所では「大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」とあります。

素直になることは弱さを見せることです。

その弱さを相手に見せることで共感を得て、その弱さが人と人とをつなぎます。

そしてその相手にとってもなにかしらの影響を及ぼします。

クリスマスの飾りつけが終わったあと、私たちは「やってよかった」という充足感がありました。

素直になることは自分の弱さを大切にすることです。

クリスマスの時期のこの出来事を自分に言い聞かせながら残り少ない2学期の日々すごしていきたいと思います。

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