礼拝の話

2020/12/17 

12月17日(木)聖書 ヨハネによる福音書 1章9~11節 社会科 堀内

最近、「光」という言葉に敏感になって、頭の中がキャンドルのことでいっぱいになっています。

このクリスマスという時は、人の心を温かくするような雰囲気があります。

今から約2000年前、イエス・キリストの生まれた当時のユダヤは暗黒の時代でした。

「すべての道はローマへ続く」といわれたほど繁栄を極めたローマ帝国の植民地となり、民衆の窮乏は進み、強い者だけが生き残り、弱い者は虐げられるような時代でした。

ユダヤの人々は旧約聖書に約束されている救い主の出現を待ち望みました。

人々にとって、唯一の希望が救い主の誕生だったのです。

力によって自分たちに自由と平和をもたらしてくれる救い主、強い王を求めていました。

しかし、イエスさまはそのような方ではありませんでした。

赤ん坊として生まれ、最後は十字架にかけられてしまいました。

ユダヤの人々は自分たちが思い描く救い主の姿ではないと、受け入れることはできませんでした。

人は自分をよく見せようと、知識、能力、財力など社会的に力あるものを求めて、自分の身を守り、高めようとします。

しかし、神であるイエス・キリストはこの世界に降りてきてくださいました。

私たちが望んでいるものと、神さまが望んでおられるものとの間には、天と地ほどの開きがあるのではないかと思います。

今日の聖書の箇所の「ことば」を「イエス・キリスト」と置き換えて読んでみてください。

自分が望むものと神さまが望むものとは違うものです。

しかし、このクリスマスの時、神さまがいかに私たちのことを愛し、イエスさまをこの世に送ってくださったのか、思い巡らす時にしたいと思います。

私たちのいろいろな心に光を当てるために生まれてくださった光であるイエス・キリストを認めて受け入れていく、そのようなアドベントの時、クリスマスの時でありたいと思います。

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