礼拝の話

2021/12/13 

12月6日(月)聖書 ヤコブの手紙 1章17節 校長 小西二巳夫

毎年クリスマスシーズンのこの時期に私のところに届く郵便物があります。

70歳を前にした私の知り合いには、年齢が上か同年代という人が多くいるので、亡くなる人がいるのは当たり前かもしれませんが、喪中のお知らせです。

今年はすでに20通近くが届いています。

亡くなった人自身と親しかった場合、心がズキンと痛み、悲しい気持ちになります。

Kさんという90歳を超えた女性の場合がそうでした。

Kさんと出会ったのは40年近く前、私がKさんの教会の牧師として赴任したときでした。

牧師としてやっていく自信がないなかで、一番大きな悩みは毎週日曜日の礼拝で説教をすることでした。

Kさんはそんな頼りない私を牧師として育ててくれた人でした。

Kさんは優しい言葉をかけてくれたり、慰めてくれたりするタイプの人ではありません。

私が出来のよい牧師でないことを見抜いておられましたが、それにも関わらず、徹底的に信頼してくれたのです。

人間は不思議なものです。

信頼されていることがわかると、何とかしよう、精一杯やろうという気持ちになります。

Kさんはいい意味で私にいつも緊張感を与えてくれる人だったのです。

牧師になって40年近くになりますが、その教会にいたのは4年でした。

割合からしたら長くはありませんが、あの4年がなかったら、つまりKさんとの出会いがなかったら、私は今以下の働きしかできなかったことは間違いありません。

Kさんは牧師として働く私のために、神さまが与えてくださった最高のプレゼントだったのです。

教会における私とKさんの関係を、そのまま清和にスライドさせることができます。

先生は入学してきた人たちに、生きる力や、学ぶ力をつけてもらうために、さまざまな方法を使いながら毎日励みます。

清和の先生だからと言って、最初から人間として、先生として完成されているはずがありません。

清和は先生が生徒との出会いを通して本物の先生になっていくと考える学校です。

少し角度を変えた言い方をすると、先生は生徒によって育てられていくのです。

清和の先生にとって、生徒一人ひとりの存在が神さまからのプレゼントなのです。

そこで、プレゼントであるみなさんにもう少し考えてもらいたいことがあります。

神さまのプレゼントである自分がどのような自覚を持てばいいかということです。

神さまによって選ばれて清和に入学してきたみなさんの使命は、何よりもまず学校生活に真剣に取り組むことだ、ということになります。

自分の真剣さが先生を含む周りの人を育て、そして自分も育てることになるのです。

逆に言うと、学校生活をいい加減に過ごすことは、神さまの期待を裏切ることになります。

クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う時です。

イエス・キリストは、私たちが人として成長するために神が送ってくださった最高のプレゼントです。

神からのプレゼントであるイエス・キリストは自らの人生を真剣に生きました。

生きて、生きて、生き抜きました。

聖書には、イエスが自分の人生や使命に真剣に生きたことが書かれています。

イエス・キリストの使命は、すべての人が、命を与えられたことを喜び、自分の人生に感謝をもって生きることができるようになることです。

それが世界を本当の意味で平和にしていくのです。

クリスマスは、それをしっかりと思い起こし、自分のものにしていく期間なのです。

明日から始まる期末試験に真剣に取り組み、同時にチャペルクリスマスにも真剣に取り組んで行きましょう。

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