礼拝の話

2020/02/18 

2月17日(月)聖書 ヤコブの手紙 5章7~8節 校長 小西二巳夫

「イーディ 83歳 初めての山登り」というイギリス映画があります。
83歳の女性がスコットランドにあるスイルベン山に登る話です。
50歳から30年間、夫の介護に時間を費やしてきたイーディは83歳になるまで山登りの体験は全くありませんでした。
夫が亡くなり、ホッとしたのと同時に虚しさでいっぱいになり、自分は何をしていけばよいのだろうか、自分には何もない、と思えてきたのです。
イーディは生きていること、そのものに虚しさを感じます。
気持ちの整理がつかない毎日を過ごす中で、昔山登りが好きだった父親が送ってくれた絵葉書を見つけました。
絵葉書には「変な山に一緒に登ろう」という言葉が書かれていました。
イーディは父親との約束を果たすためにスイルベン山に向かうという思い切った行動に出ます。
自分から行動を起こそうとすると不思議なもので、周りが自然と動き始めます。
出だしからトラブルはありますが、それを解決する方法も見つかります。
何がイーディの背中を押したのでしょうか。
それはある人の何気ない言葉でした。
よくいく食堂で馴染みの店員さんに「追加注文はもう遅い?」と尋ねた時の返事「Never too late!」「何も遅すぎることはないさ!」との言葉です。
店員さんは追加注文に対して遅くないと答えただけでしたが、イーディはそれを違う意味に受け取ったのです。
それは83歳だからといって人生は終わりではない。
全てが終わりではない。
やりたいことがあれば、あきらめずに思い切ってやればいい。
そのような意味の言葉として聞こえてきたのです。
イーディのすばらしさは、その声に素直に従ったことです。
思い切って聞こえてきた呼びかけに応えたのです。
生きている限り、遅いということは何もない。
それがキリスト教の本質です。
Never too lateに83歳の女性は素直に従いました。
まして中学生、高校生の年代の人にとって、何一つ遅いということはないわけです。
自分で自分をあきらめてはいけないということです。
自分から一歩踏み出したら、支えてくれる力が必ず何かの形で働くということです。
Never too late この言葉を心に刻みながら、今やるべきことに取り組みましょう。

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