礼拝の話

2021/02/04 

2月3日(水)聖書 マタイによる福音書 5章23~24節 日本キリスト改革派 高知教会 小澤寿輔牧師

先週の水曜日のチャペルで、「無限に無条件に赦しなさい」というお話をしました。

「赦しの限度を決めて、その限度を越えないなら赦す」というのではなく、「何度でも赦す」ということ、そして、「相手が謝ったら赦す」というのではなく、「相手がどういう態度であれ赦す」ということでした。

この教えを聞いたとき、「そんな不合理なことできるか」と思った人が、いたのではないかと思います。

赦さないと、いつまでも怒りとか恨みとかいう否定的な思いが心を縛り付け、苦しめるのです。

実は、私にも以前、「赦したくない」と思い出すだけで怒りが込み上げてくる人がいました。

初めは我慢していましたが、それがだんだんとエスカレートしていくと、こちらも抑えきれず、相手に対して怒りを爆発させてしまいました。

怒りの応酬となり、もう無視しようと、しばらくの間、関係を絶っていたのですが、その相手は一生避けて生きる訳にもいかない人だったので、牧師に相談すると「こういう争いは、先に赦した方が勝ちです」と言われました。

「はぁ?」その言葉を聞いたとき、自分の耳を疑って、聞き返してしまいました。

牧師はこう言われるのです。

「相手が謝ったら赦してやろうといって、相手の出方を待っていれば、いつまでたっても和解は成立しませんよ。相手だってあなたが謝るのを待っているからです。それでは、あなたの負けです。いつまでたっても否定的な気持ちに縛られたままで、体と心の健康を害することになるからです。相手がどういう状態であろうが、条件をつけずに、『赦します』と神さまに宣言すれば、あなたはその否定的な思いから解放され、自由になります。なんと言っても、神さまと自分との関係が回復します。だから、相手を赦すことは、あなた自身のために、とても大事なことなのですよ」と。

その話を聞いて、お祈りしました。

そうしたら、自分の心がスーッと軽くなるのを感じました。

ある日、相手が我が家を訪ねてきたので、嫌々ながらも、家に通して、お茶も出して、娘と遊ぶ姿を傍らで眺めていました。

その場の雰囲気が重苦しく、ぎこちなく、嫌で仕方ありませんでしたが、そのとき「色々と失礼な態度を取ってすみませんでした」と、無意識に言っていたのです。

牧師と一緒にお祈りをしたものの、まさか自分が先に謝るなんて、全く考えていなかったので、その言葉が出たときには、本当に驚きました。

すると、相手も自然に謝ってくれて、仲直りをすることができたのでした。

本当に不思議な時でした。

イエス・キリストは、怒り、憎しみの積極的な解決方法は、「和解」であると教えくださいました。

もし誰かと仲たがいをしているのでしたら、チャペルに来る前に、和解することが求められています。

もし相手が自分の非を認めて謝ってくれたら、それは赦しやすいでしょう。

でも、たとえそうでなくても、自分から先に相手を赦すことができるなら、きっといつの日か、和解ができると信じます。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ