礼拝の話

2021/03/02 

3月1日(月)聖書 マタイによる福音書 18章10~14節 校長 小西二巳夫

探査機はやぶさ2、野口聡一さんの国際宇宙ステーション長期滞在、火星探査車着陸など、最近宇宙のことで話題になることがたくさんあります。

太陽系の星は、太陽に近い金星から始まり、一番外側の冥王星までの9つとされていましたが、数年前、宇宙国際会議でこの冥王星を惑星から外すことが決められました。

理由は、宇宙の研究が進歩し、冥王星レベルの星がいくつも発見されたことでした。

惑星という名称は、英語の「プラネット」をそのまま直訳したものです。

英語の「プラネット」の語源をさかのぼっていくと、聖書の言葉に行きつきます。

新約聖書ユダの手紙13節に「永遠に暗闇が待ち受ける迷い星」とあります。

この迷い星という言葉からプラネット・惑星という名称が作られました。

これと関係するのが、今朝の聖書の箇所のたとえ話です。

迷子の1匹を羊飼いが残りの99匹をおいて探しに出た話として有名な箇所で、神さまは弱く貧しい一人を愛する方であると教える話としてよく使われます。

しかし、この迷い出たと訳される言葉はギリシャ語の「プラネテース」です。

ギリシャ語聖書ではこのプラネテースは受け身の形になっています。

ということは、直訳すると「迷いださせられた」、はじかれた、省かれた、ということです。

1匹の羊が勝手な行動で群れからはぐれたのではなく、群れ、仲間からはじかれた、はぶかれたのです。

この1匹の羊がはじかれた理由は何だったのでしょうか。

毛の色が違う、鳴き声が違う、歩く速さが違うからでしょうか。

違いを持つ存在が群れの中にいると、なんとなく気になります。

気になる、が気に入らない、になりエスカレートし、ついにははじき出してしまったのでしょう。

それにも関わらず迷子になったのが、その羊の責任とされてしまったのです。

迷い出た羊の話しは、残念ながら私たちの身近でも起こる出来事だと言えます。

羊飼いははじき出された1匹を必死に探したのです。

探し出した後に、群れに戻し、これからは迷子にならないように気をつけなさいと注意したのであれば、この羊飼いは無責任です。

「迷い出た羊のたとえ」の一番の問題は、群れの99匹にあるからです。

迷い出た羊をはじき出されたと考えると、99匹はつるんでいた羊ということです。

「つるむ」というのは、自分で考えず、集団にぶら下がっていることです。

自分の考えで行動しない、自立した一人になれないことを「つるむ」といいます。

イエスは無意識に群れる人々の愚かさを厳しく問うているのです。

つるむことが、弱さや違いを持つ人をいかに傷つけるかを語っているのです。

群れることは自分で考えないことですから、人間としての成長はありません。

清和は毎朝チャペルで全校礼拝を行い、このチャペルに生徒と教職員のほとんどが集まります。

外から見れば、群れているように見えるかもしれませんが、実際は違います。

私たちがチャペルに集まるのは一人になるためです。

毎朝の礼拝で、何より大切にしているのは、一人になることです。

一人になった言葉を受けとめる、一人になって聞く、一人になって考える。

決してつるんでいるのではないのです。

誰かと無意識につるむことで、大切な隣人、他者をはじくことになることを自覚するよう、イエスは求めているのです。

このイエスの呼びかけに応える自分になるためにチャペルに集まっているのです。

それでは、水曜日から始まる学年末試験をはじめとして、自分の課題に向き合いつつ、新しい1週間を共に歩んでいきましょう

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