礼拝の話

2020/03/11 

3月11日(水)フィリピ人への手紙4章8節

2011年3月11日14時46分。

 たくさんの人の人生を変えた大災害が起きた時刻です。

東日本大震災は日本周辺における観測史上最大の地震で、誰も経験したことのない揺れでした。

 その直後の津波によって、多くの方の命が失われました。

 そして、福島第一原発で起きてしまった世界最悪レベルの原発事故。

 NHKのニュースによると、震災関連死を含めた死者と行方不明者は2万2000人以上。

福島県の住民を中心に4万8000人近くの方が、今も避難生活を余儀なくされています。

 この大震災から今日で9年になります。

 中高生のみなさんは、3歳~9歳くらいのときですね。

 みなさんにとっては、東日本大震災は「知らない何か」なのかもしれません。

 地震の時、私は岡山にいて、揺れは全く感じませんでした。

 テレビもスマホも見ていなかったので、地震と津波のことを知ったのは16時を過ぎた頃でした。

 津波警報のテレビ画面を初めて見て、大変なことが起きているらしいことは分かりました。

 でも、電気の付いた明るい部屋で家族とテレビを見ている私には、何の実感も恐怖もありません。

 それから日本中が動き始めました。

被災地の様子が連日報道され、支援が広がっていきました。

 でも、私は何もしませんでした。

 あの地震の瞬間、たくさんの人が死の恐怖の中にいたとき、

何も知らずに快適に過ごし、その後も何の変わりもなく生活している自分を知られるのが怖かったからです。

 私はYouTubeで、被災した方が撮っていた津波の動画をときどき見ます。

 押し寄せてくる真っ黒な波。

津波警報のサイレンの音。

高台に避難した人たちの不安な声、悲鳴。

この場所にいた人たちは、どんな気持ちでこの光景を見ていたのだろう。

流されていく家々の中には自分の家もあったかもしれません。

 想像すると胸が苦しくなりますが、それでも完全に分かることはできません。

 震災から1年たった春、初めて東北に行く機会がありました。

岩手県の沿岸部で、家の基礎だけが残った土地に雑草が生い茂っている被災地を見ました。

仮設住宅の避難所を訪れ、そこに住む方のために木の椅子を作り、子どもたちと遊びました。

あの時のモヤモヤした思いが何なのか、今も考えています。

大震災は人の心に多くの問いを残しました。

「なぜ死ぬのか」「どうして生きているのか」「どう生きていくのか」・・・

多くの人が答えを持っていません。

あるいは、それぞれが独自の答えを持っているとも言えます。

大切なのは、問いを持つこと。

考え続けること。

そのために知ろうとすること。

その中で見えてくるものを積み重ねながら、人は生きていくのではないでしょうか。

新型コロナウイルスで世界が動揺している今、「なぜ?」と思うことが各地で起きています。

制限の中で「本当に大切なことは何?」と考えます。

考えることを続けながら、被災地に心を寄せる一日としたいと思います。

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