礼拝の話

2023/03/14 

3月13日(月) 聖書 ヨハネによる福音書 21章20~23節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

『夜と霧』というアウシュビッツ強制収容所での体験が記されている書物があります。

著者はユダヤ人の精神科医であるヴィクトール・フランクルです。

ナチス・ドイツの強制収容所に入れられるという人間の限界状態の中で、人間の尊厳を失わずに希望を捨てなかった、「真実の証し」が刻まれています。

フランクルによると、強制収容所における限界状態の中で、精神的なよりどころを持たない人は壊れていき、逆に、絶望的な状況の中でなお、精神的な支えを見出した人は希望を持つことができたそうです。

フランクルは、「目的」が明確にならなければ、人間らしく生きることはできないと語っています。

「私はこの人生に何を期待しているか」ではなく、むしろ「人生は私に何を期待しているのか」と考えることが重要であると述べているのです。

聖書の見方で言うならば、「神またはイエスは私に何を期待しているのか」と言い換えることができると思います。

私たちはこのチャペルで毎日、イエスのお言葉に耳を傾けます。

その時、イエスは私たちに期待しているということ、イエスの言葉に導かれて、私にも果たすべき役割があるということに気付いていただきたいと思います。

自分自身の目的が明確にならなければ、私たちは自己嫌悪に陥ります。

人の人生をうらやましく眺めます。

逆に見下してマウントをとってしまうのです。

今朝の聖書の箇所ではペトロは「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と質問しました。

イエスは「あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい」とお答えになりました。

他の人の人生は、その人の人生です。

わたしにはわたしの人生があります。

イエスはそのことを明確にしました。

イエスが明確に示したことは、私たちそれぞれの道をはっきりとさせてくれます。

自分の使命に生きるということをはっきりと示しいてくださいます。

イエスの言葉に導かれて、わたしだけの人生のレールが備えられています。

使命は、私たちを自由にします。

わたしにしかできないこと、わたしにしかできない愛の業、わたしにしかできない役割があります。

そのことを思いながら、私たちは今週もそれぞれレールを進んでいきたいと思います。

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