礼拝の話

2020/04/10 

4月10日(金)聖書 イザヤ書 55章8~9節 音楽科 三浦

新年度3日目、それぞれのクラスで新しい学年を始めるにあたり色々な準備をする時です。

新しい学年の最初のクラスでの活動でもありますから、お互いの良い部分を見つける機会にできるようにと思います。

2020年、感染症問題で騒がしくなる中で私たちは日々の生活を余儀なくされています。

学校で一緒にスタートを切るはずの授業をこのような形で始めなければならないことに、学校としては心苦しさを覚えますが、何もしないままで時を過ごすわけにはいきません。

何もしないままで時を過ごすわけにはいかない理由は、「時・時間には限りがある」この一言につきます。

明日からの時をどのように過ごすか、これは一人ひとりに問われていることです。

自分をどうしていくか、自分にどうさせていくか、これを一人ひとりがしっかりと考えて、それぞれの課題に取り組むことが求められる時なのだと思います。

この感染症の問題は、ある時を境にパッと終わる、というものではないだろう、ということを前提に、学校は、休校することを決めましたが、もう1つ決めたことがあります。

それは、これを日常として、この時を普通に過ごす、ということです。

それは、この問題によって引き起こされたことが私たちにとって、必要な時間であると捉えて毎日を過ごすためです。

清和での学校生活は礼拝で始まります。

そして、1日の学習を始めます。

このことを大切にしたいと思います。

休業期間中も礼拝のメッセージは毎朝、HPに掲載しますので、ぜひ読んで1日の活動・課題に取り組んでください。

いろいろなことが起こる毎日ではあるものの、私たちには中学校生活、高校生活を送る、という時を与えられています。

今日食べる物に困る生活をしている人、学びたくても貧しさや戦乱の中でその機会を得ることができない人は、世界に限らず、日本の中にもたくさんいます。

私たちがみないで過ごそうとしている現実の中で生きなければいけない人がたくさんいることを、その機会が与えられている私たちは忘れてはいけないのだと思います。

一昨日の始業礼拝では、忘れないことの大切さ、忘れることの愚かさを聞きました。

入学礼拝では、ここに集められた一人ひとりは、神さまに選ばれてここに集められたと聞きました。

ここにいるということを本当に自分自身の意味あることにしていけるかどうかは、私たち一人ひとりにかかっています。

この期間のしんどさや大変さの中で学んだこと、身に着けたこと、考えたことは必ず、これから私たちが生きるために必要になっていくのだと、思います。

できることを1つずつ、それぞれの場所で積み重ねていきましょう。

私たちの思いをはるかに超えたところで、私たち一人ひとりにふさわしい計画を立ててくださっている方がいることを心に留めて、今日、そして明日からの歩みを進めていきたいと思います。

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