礼拝の話

2020/04/13 

4月13日(月)チャペルウィーク 聖書 マタイによる福音書 28章5~8節 校長 小西二巳夫

今日からチャペルウィーク(キリスト教教育週間)が始まります。

本来ならば、チャペルに集まって、清和が大切にしているキリスト教の基本的なことについて話を聞きますが、今年は新型コロナウイルス感染問題のために学校が休校になったので、いつもとは違う形でチャペルウィークの話をすることになりました。

それでは以下の文章をしっかり読んでレポートしてください。

 

南太平洋にクリスマス島とイースター島と呼ばれている島があります。

もともとの名前は違いますが2つの島がそう呼ばれるのは、クリスマスとイースターの時期に島を見つけたヨーロッパの人間がそう名付けたからです。

クリスマスは12月25日、イースター毎年だいたい3月末から4月中頃で今年は昨日、4月12日がイースターでした。

クリスマスとイースターはキリスト教の最大のお祝いの日です。

クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日、イースターはイエス・キリストが十字架に架けられて死んで3日目に復活した、それを祝う日です。

イエスさまについていけば救われ幸せになれると信じていた人たちは、イエスさまが十字架に架けられて死んでしまったことで、がっかりしましたが、3日目にイエスさまが復活したという話を聞きました。

イエスさまの復活を信じた人と信じられなかった人がいました。

清和はイエスさまが復活したと信じた人たちの歴史の中にある学校です。

イエスさまの復活を信じた人たちは、なぜ十字架に架けられて殺されたのだろうか、いった何のために誰のためにイエスさまが十字架に架かられたのだろうかと考えて、そして大切なことに気づきました。

 

上方落語に「サギとり」というのがあります。

落語の主人公はいい意味でもそうでない意味でも「ええかげんな」人が多いようで、サギとりの主人公の八もそうでした。

八はいい金もうけはないかと考えて、あることを思いつきます。

お寺の裏の池にトリのサギが集まってくるのを捕まえて、売ってお金にするということです。

そこで、夜中にこっそりお寺の裏に忍び込みます。

サギという鳥は警戒心が強い鳥のようですが、この夜のサギは八と同じようなええかげんな鳥だったようです。

八はしめたとばかり寝ているサギをひょいひょいと捕まえていきます。

ところがええかげんな男ですから、捕まえたトリをしばるひもや入れる袋を持ってきていなかったので、捕まえたサギの首を着物の帯の間にはさんでいきます。

そうこうしているうちに、夜が明けて早起きのサギは目を覚まし始めます。

ところが帯に首が挟まっていますから苦しいので、えらいこっちゃ、とばかりにいっせいに羽根をばたばたさせます。

帯の周りのサギが一斉に羽根をばたばたさせたので、八の体は持ち上がって、そのままサギと一緒に飛んでいきます。

今度は、八がえらいこっちゃとばかりに体をばたばたさせます。

すると目の前に鉄の棒が見えたので、えいっとばかりにそれにしがみつきます。

その拍子に帯からサギの首が抜け、サギはそのまま飛んでいきました。

鉄の棒に捕まりながら、助かったと安心した八はひょいと足元を見るとそれは、四天王寺というお寺の五重塔のてっぺんだったのです。

だんだんと日が昇ってきて、四天王寺にお参りの人が大勢集まってきて、その中のある一人が、五重塔のてっぺんの鉄の棒(九輪)に人がしがみついて、助けてくれと叫んでいるのに気づきます。

えらいこっちゃと大騒ぎになって、お寺の方も放っておけなくなります。

お寺には大勢の坊さんが一緒に寝ることができる大きな布団があったので、その布団を五重塔の下に広げて、四隅を四人の坊さんが持ち、八を受け止めようとします。

そこに飛び降りれば助かると意味がわかった八は、布団めがけて思い切って飛びました。

八はふとんのうまい具合に真中に落ちてきました。

ところが勢いがつきすぎ、八が真中へずぼーん、勢いあまって四隅の四人の坊さんの頭がゴチゴチゴチーン。

一人助かって四人死んだ、これが落語サギとりのオチです。

このオチを聞いて、そんなアホなと思うわけです。

一人のええかげんな男を救うために、四人のまじめな坊さんが死んだのです。

えらい割の合わない話と思うわけです。

 

ところが、それが落語の世界の話ではなく、本当にあったと気づいたのが、十字架に架けられて殺されたイエスさまが3日後に復活したと信じた人たちでした。

イエスさまがなぜ罪人として十字架で死んだのだろうかと考えた時、ええかげんなこの私のためだということがわかったのです。

イエス・キリストが十字架に架けられた絵を見たことがあるでしょう。

でも、イエスさまの十字架の出来事がこの私のためと思えたら、それは十字架に架けられているのではなく、十字架を担いでいるように見えてくるのです。

この私の代わりにイエスさまがあらゆるしんどさや苦しみを担いでくださっていると、気づくことによって、人は自分の命も他の人の命も大切にできる人になっていきます。

私だけでなく他の人の命が大切にされることが平和の出発点です。

新型コロナウイルス感染問題で多くの人の命が奪われていっています。

それを防ぐために、私に代わって自分の命をかけて働いている人たちがたくさんおられます。

それをムダにしないために、私たち一人ひとりにできることはいくつもあります。

イエスさまが私の代わりに十字架を担いでくださっている、そのことにしっかり気づくことから新しい一日に取り組んでいきましょう。

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