礼拝の話

2021/04/14 

4月14日(水) 「清和の礼拝はモーニングサービス」 聖書 ローマの信徒への手紙 12章1~2節 校長 小西二巳夫

今日は清和の「チャペル礼拝」について話します。

愛知県一宮市は“モーニングサービス”発祥の地といわれています。

“モーニングサービス”は日本で作られた言葉で、もともと喫茶店やカフェでコーヒーの値段で、トーストやゆで卵、サラダなどが食べられるサービスです。

モーニングサービスのきっかけは、一宮のある喫茶店が、朝早くから工場で働く人たちが朝ご飯を食べるお店がなくて困っているのを見て、何とかしてあげようということでパンを出したのが始まりだといわれています。

喫茶店やカフェのモーニングサービスでいうと高知も負けていません。

高知の喫茶店の数は、人口当たりの割合でいうと、日本一多いのです。

モーニングサービスを出しているのは、喫茶店やカフェだけではありません。

英語のサービスには、奉仕する、誰かのために力を尽くすこと、それから商売で客をもてなすこと、という意味があり、「礼拝」という意味もあります。

サービスが礼拝なら、月曜から金曜までモーニングサービスを出してくれる場所がどこかピンときませんか。

清和です。

毎朝8時40分から始まるチャペル礼拝は間違いなくモーニングサービスです。

清和は学校が始まって以来120年間、学校がある日は必ず礼拝から始めてきました。

ということは、清和は120年前からモーニングサービスを出し続けてきたのです。

喫茶店のモーニングサービスが始まったきっかけは、仕事に出かける人たちのお腹を満たすためでした。

では、清和のモーニングサービスの目的は何でしょう。

チャペル礼拝について清和ダイアリーの5ページに書いてありますが、この説明からわかることは、清和にとって、チャペル礼拝はあってもなくても、どちらでもいいというものではない、なくてはならないものだということです。

喫茶店のモーニングサービスと清和のモーニングサービスであるチャペル礼拝に共通しているものがあります。

それはパンです。

喫茶店のモーニングサービスにはトーストやサンドイッチなどのパンが必ずついています。

それと同じように、清和のモーニングサービスであるチャペル礼拝には必ずパンがでてきます。

どんなパンでしょうか。

新約聖書のヨハネによる福音書には次のように書かれています。

「わたしは、天から降ってきた生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」。

「わたし」というのは「イエス・キリスト」のことです。

イエスは自分をパンになぞらえました。

人はパン抜き、食べる物がなくては生きられません。

同じように、人が永遠に生きるためには、この場合の永遠というのは死なないということではなく、いきいきと生きるためにということです。

清和が毎朝チャペル礼拝をするのは、1つはイエス・キリストが自分に寄り添ってくれているということをより深く感じられるようになるためです。

イエスが自分と共にいてくれるということがわかると、生きる力が湧いてきます。

自分一人で頑張らなくてもいいということですから、肩の力が抜けて安心感が生まれます。

そして、もう1つはいきいき学べる人になってもらうためです。

せっかく清和の生徒になったのです。

たとえいやなことやしんどいことがあっても、朝早く起きて、こうして学校に来たのです。

せっかく来たのに、1日をいやいや過ごしたのではもったいなすぎます。

わざわざ来たのですから、いきいきと学んだ方がいいに決まっています。

そのために、清和には毎朝モーニングサービスであるチャペル礼拝があるのです。

そう考えると毎朝のチャペル礼拝が今まで以上に大切に思えてきます。

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