礼拝の話

2021/04/20 

4月19日(月) 聖書 エレミヤ書 29章11節 音楽科 三浦

今日明日と高知県内で聖火リレーが行われます。

オリンピックは4年に1度の祭典として行われてきました。

オリンピックが行われることで一番注目されるのは紛れもなく、選手でしょう。

今回の選手選出にあたり、特に注目されていた選手がいます。

水泳の池江璃花子選手です。

先日の日本選手権では、本人も涙する会心の泳ぎで1位を獲得し、全国で連日ニュースも流れました。

彼女は優勝インタビューでこう話しました。

「自分が勝てるのはもっとずっと後だと思っていた。努力は必ず報われるのだと思った。」と。

必死に闘病し、必死に練習し、無理かもしれないと思いながらもベストを尽くして、今日まで努力してきて、思いがけない嬉しい結果を得ることができたからこその言葉だと思います。

その反面、では、彼女以外の選手たちはどうなのでしょう。

誰一人として、努力してこなかった人はいないはずです。

それでも適わないことがある、それでも叶わない現実の中で、それをどう受けとめていくのでしょうか。

私たちは、どのようにこのことを考えることが必要なのでしょうか。

キリスト教の学校である清和はこのことから、単に「努力は報われるのだから一生懸命やりなさい」ということだけで考えていくことは思っていません。

なぜならば、思い通りにならない現実や、努力しても実らない現実があることを知っているからです。

これは、決してマイナスの意味ではありません。

「努力しても実らないならば、やらなくてもいいのではないか」と思った人はいるでしょうか。

そうではありません。

確かに、思った通りの結果が出ないということは、つらく苦しいことでもあります。

でも、思った通りの結果を得たいと努力したこと、積み重ねたこと、は自分の中に残っていくはずです。

その自分の中に大切に育てていくものが、最後に私たちが生きる力になるのだと思います。

ここでいう努力は、1つ1つていねいにその課題に向き合うということです。

毎日の学校生活の中で、自分に与えられた課題、役割をしっかりと見つめて、一歩ずつ歩むことが必要です。

しかし、そうやって1つずつ、一歩一歩進もうと思っても、進めない時があります。

体調がすぐれなかったり、気持ちが大きく沈み込んだり、自分の力だけではどうにも動こうにも動けない時があります。

そんな時、ぜひお祈りをしてみてください。

その時の自分が心に抱えている大きな重荷を、神さまに相談してみることもお祈りです。

その祈りに、神さまがどう答えてくださるかは私たちにはわかりません。

思い通りの結果や思い通りの返答はないかもしれません。

でも、祈ることで見えてくるものがあります。

神さまは、いつでも私たちに最善の道をご用意くださっています。

たとえそれが、今の自分にとって、まったく最善ではないと思えることであっても、です。

今日、学校に来るまでの間にいろいろな悩みや思いをもって来た人もいるでしょう。

私も含めて、そのすべての思い煩いをこの朝のチャペルにおいて、これから始まる1日をしっかりと歩みたいと思います。

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