清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2020/04/20
休校も2週目に入りました。
生徒の皆さんも教職員も同じチャペルのメッセージを読んで、清和の一日を始めています。
同じ聖書の言葉、同じメッセージが私たちをつないでいるのです。
今日の聖書、創世記の一番はじめには、神様が世界をつくられた時、その1つ1つを祝福してつくり、そして最後に人間をつくられました。
2章31節には「見よ、それはきわめて良かった」と書かれています。
神様は私たちをつくってくださって「極めて良かった」と評価してくださったのです。
人間は誰でも自分のことを振り返ると、しばしばダメだったことや失敗したこと、できなかったことばかりが思い浮かぶ傾向があります。
自分のしたことについて良かった所をあげてほめる、ということを忘れがちなのです。
自己嫌悪におちいる私たちを、神様は「きわめて良かった」と言ってくださいました。
『私達一人一人は神様の作品で、神様の作品には失敗作はない』という言葉を聞いたことがあります。
この言葉の意味を知るために、「大切なきみ」という絵本を紹介しましょう。
人形の国では人形たちが競争しあっていて、おたがいに欠点を見つけては「ダメダメシール」を相手に貼り付けていました。
競争に負けて、ダメダメシールだらけになった主人公の人形は、ある日自分たちを作った人形師に会いに行きました。
人形師に会いに行くことで本当の自分に出会うことができた、という物語です。
人形師は1つ1つの人形を、愛情を込めて作りました。
人形達は1つ1つ違っているけれど、人形師にとって失敗作のダメな人形はひとつもありません。
主人公はこの人形師に出会うことで、自分が大切に、愛情を持って作られた存在であることに気づいたのです。
私たちは神様の作品です。
その中に失敗作は1つもありません。
この言葉を聞くために皆さんは清和に招かれました。
私たち一人一人が大切な神様の作品であって、一人一人愛情を込めて大切な存在としてつくられています。
同時に、あなたの周りにいる友達もみな、神様に愛を持って作られた存在です。
だから私たちは人に思いやりを持ち、相手を大切にするのです。
聖書には人間が「神の形につくられた」と書いてあります。
それは「神様の気持ち、神様の愛情が分かる存在としてつくられた」という意味です。
私たち人間にはこの神様からの愛の通話を受け取る力があります。
だから私たちは人に思いやりを持ち、相手を大切にすることができるのです。
今、不安と忍耐の中にあっても、皆さんを神様の愛が包んでくださるように。
そしてその中で皆さんがのびのびと成長して行くことができますように。
おたがいを思いやり許しあう心を育てることができますように。
皆さんは神様の自慢の作品、その中に失敗作は一つもないのですから。