礼拝の話

2019/04/22 

4月22日(月)聖書:マタイによる福音書28章5~8節 校長 小西二巳夫

昨日の日曜日はイースター礼拝でした。
イースターは毎年3月末から4月中旬頃に行われます。
イエス・キリストが十字架に架けられて死んで3日目に復活したことを祝う日です。
当然のことですが、イエスの復活を信じた人と信じられなかった人がいます。
清和はイエスが復活したと信じた人たちの歴史の中にある学校です。
イエスの復活を考えた人たちはあることを考えました。
イエスはなぜ十字架に架けられて殺されたのだろうか。
イエスが何のために、誰のために、罪人として十字架に架けられて死んだのだろうかと考えた時、それが自分のために、このいい加減な私のために、罪のないイエスが身代わりになって死んでくださったのだということがわかったのです。
本当なら自分が担がなければならない十字架を、代わりにイエスが担いでくれている。
そのことに気づいた時、人間は自分の命も、そして他の人の命も大切にできる人になっていきます。
人の命が大切にされる。それは平和の出発点です。
清和で学ぶのは、平和の出発点である自分の命と他者の命を大切にできる人間になってもらうためです。

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