礼拝の話

2020/04/23 

4月23日(木)聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16~18節 家庭科 青柳

私と同世代の人はよく「ゆとり世代」と言われます。

あまりポジティブな意味合いで用いられることはありませんが、日々の生活の中で「ゆとり」を持つことはとても大切なことだと思っています。

「ゆとり」という言葉を辞書で引いてみると、「空間や時間、気持ちの余裕。また、自由にできる部分がある。」と書かれていました。

私は、自分自身がどの程度「ゆとり」を持っているかが、身の周りの整理整頓からよくわかります。

私は整理整頓が大の苦手で使ったものをもとに戻さなかったり、書類の整理がうまくいかずすぐに机の上がいっぱいになったりしてしまいます。

家事の中で1番苦手なのは掃除です。

机や部屋が散らかっている時は、たいてい時間のゆとりも心のゆとりもない時です。

時間のゆとりがない時は、やるべきことに追われているため心のゆとりなんてありません。

時間のゆとりがあっても、心に何か不安や悩み、考え事を抱えていると思うように作業ははかどりません。

一方で、時間にも心にも「ゆとり」が生まれると、とてもスムーズに片付けができ掃除以外の家事や勉強などのやる気もどんどん出てきます。

今コロナウィルスが世界中で猛威を振るう中で、私たちの「ゆとり」のなさが引き起こしている問題があります。

それは、思いやりのない行動です。

心のゆとりがなくなってくると、人はストレスを溜め、攻撃的になってしまいます。

緊急事態宣言により、生活が制限され、ストレスを感じ、普段だったら気にもしないことでイライラしてしまい、そのいら立ちが周りの人に向いてしまうのが一番怖いことです。

このような記事を目にしました。

『あまりにも酷い事が起きた。私の働くスーパーである店員がレジの業務中くしゃみをした。

すると客が「コロナだろ!!」「他の店員に変われ!!」と怒鳴り始めた。

その店員はマスクもしていたし花粉症である事も話したが一切聞き入れず結局、他の店員が対応した。』

私たちの生活に必要な物資を販売してくれている店員さんに対するものや、命を懸けて医療に携わっている医療従事者、公共交通機関の職員さん…。

私たちと同じようにコロナウィルスの危険を感じながらも、市民のため患者のために働いている人たちへの攻撃や差別が多く起きています。

さらに、家庭内でのトラブルも増えていると聞きます。

これらは「ゆとり」のなさが引き起こしているのだと思います。

心に「ゆとり」がないと自己中心的になってしまい、他者へ目を向けられなくなってしまうのではないでしょうか。

思いやりや優しさは、自分中心ではなく、他者の心や気持ちに目を向けることです。

相手に対する思いやりや優しさを忘れないためにも、心の「ゆとり」を大切にして行きたいと思います。

今、感染拡大防止のため休校期間で家から出ることもなく、課題に集中する毎日だと思いますが、時間と心に「ゆとり」を持って1日を始めてみませんか。

「ゆとり」が足りないと感じたら、立ち止まって休憩しましょう。

1日のスタートは、窓を開け、太陽の光とさわやかな空気を部屋に送り、深呼吸をしてみてください。

ちょっと体操するのもいいですね。

そして何より、清和の毎朝の礼拝はこの「ゆとり」をもつための時間だと思います。

1日の勉強や学校生活をより豊かなものにするために、毎朝礼拝を持つことで心の「ゆとり」をもって1日をスタートさせることができます。

休校期間中も、礼拝のお話は毎朝更新されます。

学校に集うことができなくても、それぞれの場所で毎朝の大切なひと時として、このメッセージが届きますように。

生活の中の「ゆとり」を大切に、今日をスタートさせましょう。

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