清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2020/04/27
学校は新型コロナウィルス感染問題のために休業3週目に入りました。
生徒のみなさんは学校に通いたくても通うことができなくなっています。
今の状況から思い出す映画があります。
タイトルは「世界の果ての通学路」です。
主人公は学校に通う子どもたちが登場します。
共通しているのは、彼らが相当苦労しながら学校に通っていることです。
ある意味、命がけで通学しています。
12歳のモロッコの少女ザビラは家族の中で初めて学校に通うことになり寮生活をしていますが、毎週月曜日の夜明けに起きて、家から学校まで友だち二人と一緒に22kmの道を4時間かけて歩いて登校し、金曜日の夕方には同じ道を歩いて家に帰ります。
13歳のサミュエルは未熟児で生まれたために足に障がいがあるので、2人の弟が手作りの車椅子に彼を乗せて1時間15分かけて4km離れた学校に通います。
何かとトラブルが起こりますが、彼らは困ったことも貧しいことも笑い飛ばすように学校に通います。
一番印象的だったのはケニアの少年ジャクソンです。
11歳のジャクソンは水くみや洗濯、炭作りなど家の手伝いをよくして、毎日6歳の妹を連れて、学校まで15㎞を2時間かけて小走りで通います。
サバンナはゾウやキリン、シマウマなど野生動物が出没するので、子どもにとっては危険な場所ですが、動物よりも怖いのは強盗です。
彼らは相手が誰でも容赦しないので、両親は2人が無事に学校に通えるよう、毎朝真剣に祈ります。
「世界の果ての通学路」から考えさせられるのは、学校に通うことの意味です。
映画の主人公たちは、なぜ、そんな苦労をしてまで学校に通いたいのでしょうか。
それは人間にとって、学ぶことが喜びだからです。
時間をかけて、時には命をかけても学校に行きたいのです。
それは、学ぶことにそれ以上の値打ちがあると知っているからです。
この映画は6年前に作られましたが、その時点で学校に通えない子どもが世界で5700万人です。
一番の理由は経済的な問題です。
家が貧しくて、自分も働かなければならないなどの理由によって通えず、学ぶ喜びを奪われています。
もう一つ奪われているものがあります。
それは学ぶ権利、人間として当然持っている学ぶ権利を、大人と社会が奪っているのです。
ところが今は、それよりはるかに多い数の子どもが学校に通うことができません。
原因は新型コロナウィルス感染問題のためです。
新型コロナウィルス感染問題が、多くの人から学ぶ喜び、学ぶ権利を奪おうとしているのです。
清和の生徒であるみなさんも、間違いなくその1人です。
みなさんの中にも、毎日朝早く起きて混雑した電車に乗り通学する人がいます。
学校まで1時間近くかけてスクールバスで通う人がいます。
家が遠方にあるために下宿生活をしている人がいます。
家族が毎朝真剣に祈って送り出してくれている人もいるでしょう。
距離的・時間的しんどさだけでなく、内面的なしんどさを抱えている人もいます。
「世界の果ての通学路」の主人公には到底及びませんが、みなさんもそれなりのしんどさを抱えながら学校に通っているのです。
たくさんのエネルギーを使って学校に通っているのです。
そうすると、この映画が遠い世界を描いているのではないことがわかります。
みなさんは学ぶ権利は奪われてきていません。
けれども、学ぶ喜びをきちんと自覚してきたでしょうか。
そうでもないこともあったはずです。
自分の方から学ぶ権利や喜びを捨ててこなかったでしょうか。
しばらく前までは学校に通えなくなるとは考えられませんでした。
ところが、それが今、日本中で、世界中で多くの人の現実になりました。
私たちは今何をしたらいいのでしょうか。
何ができるでしょうか。
今日の聖書の箇所ではイエスさまがもうすぐ弟子の一人が自分を裏切ることになるといわれました。
イエスさまの言葉に弟子たちは、自分はそんなことをしないと思い、お互いに言い合いました。
「自分は違う、そんなことはしない」「まさか私ではないでしょ」。
しかし聖書は、そのまさかに自分がいつでもなる可能性があると語っています。
新型コロナウィルス感染問題を乗り越えるために求められているのはこの感覚です。
まさか私ではないでしょ、の気持ちが自分から大切なものを奪っていくのです。
まさか自分は感染しないでしょ。感染するはずがないでしょ。
人に感染させるはずがないでしょ。私には関係ないでしょ。
新型コロナウィルス感染症は、私たちにそう思わせ、大切なものを奪っていくのです。
それがみなさんにとっては、学ぶ喜びであり、学ぶ権利です。
みなさんのところには、学校から学びの課題が送られてきているはずです。
まずはその1つ1つに真正面から取り組み、各教科の課題にきちんと向き合いましょう。
自分の方から学ぶ喜びと学ぶ権利を捨てないようにしましょう。
それが新型コロナウィルス感染問題を前にした私たちにできることです。
学ぶ権利と喜びを奪われない、その気持ちを大切に連休中を過ごしましょう。