礼拝の話

2020/04/30 

4月30日(木)聖書 使徒言行録 9章1~19節 社会科 山脇

東京のある小さな出版社が、密閉・密集・密接のいわゆる「三密」を防ぐため、面白いチラシを作製したというニュースがありました。

猫の「狭い所」に「集まり」「密着」する特性をうまく利用した可愛らしいチラシを作製したというのです。

その出版社は猫を何匹も「社猫」として飼っていて、その猫たちを主役にした「癒し課」という部署を設けているそうです。

「逆転の発想」というわけではないでしょうが、この出版社の方々は身近にいる猫を、本当によく見ていたのだと思います。

だから猫の特性が「三密だ!!」と気づき、遊び心も加えつつ、見た人が優しい気持ちになれるようなチラシが生まれたのだと思いました。

普段、私たちは多くの物を、多くのことを見過ごしてしまっているのかもしれません。

それは、私たちの中に、一定の型、固定観念、思い込みがあるからではないでしょうか。

「これはこうじゃないといけない」という固定観念は誰しもが持っているものだと思いますが、それは自分が思っているだけで実際は違う、ということもよくあります。

「こうじゃないと」「こうあるべき」と思っていても、見方を変えると、自分の思っている型、基準は、自分だけのものかもしれないと気づくことがあります。

過去の歴史を見てみると、そのような固定観念、社会一般の「常識」が大きく変化した出来事は数え切れません。

常識を覆す発見や新しい考えを「コペルニクス的転回」といいますが、これは中世のヨーロッパで地球の周りを天体が動くという天動説が「常識」だった中で、地動説を主張し証明したコペルニクスに由来します。

17世紀後半のルソーは、「身体を動かすことが幼児には大事」ということに気付き、幼児を自由にさせるというそれまでの方法とは異なる「コペルニクス的転回」を主張しました。

ルソーの育児方法は、それまでの「常識」を覆し、子どもが子どもとして生きられる社会を作ったといえるでしょう。

今日の聖書箇所には「目からうろこのようなものが落ち」とありました。

今日の登場人物、サウロにとって、イエスを信じる者を迫害することは「常識」であり「使命」であったのでしょう。

「神の子なんて思えない」「復活なんてありえない」「そんな人を信じる者は許さない」という考えが、サウロの型、固定観念、思い込みだったのかもしれません。

しかし、サウロは今回の出来事を通して「目からうろこが落ち」、自分の考え方に、それこそ「コペルニクス的転回」が起きたのです。

サウロはこの後、パウロと呼ばれ、死に至るまでイエス・キリストの教えを伝え続けました。

サウロが新たな見方、考え方に気づいたのは、彼自身の努力だったでしょうか。

そうではなく、身の回りに降りかかった出来事や、周りの人との関わりの中で、サウロは新たな見方、考え方に気づき、そして変えられていきました。

何よりイエス・キリストに出会ったことで、彼は気づき、大きく変えられていきました。

最初に紹介した出版社には「猫」という存在がありました。

何気ない日常に大きな変化が生じた今、普段見慣れていた猫に、その特性に、新たな気づきが生まれ、周りから見ると「逆転の発想」と思える可愛らしいチラシを作ることにつながったのでしょう。

今の私たちも同じではないでしょうか。

家庭学習期間、外出の自粛が要請され、なかなか友だちと会うこともできません。

しかし、この時間はその先にある変化や成長、新しい気づきのために、与えられた時間かもしれません。

今まで気づかなかった身の回りの物、身の回りの出来事に目を向ける、そのような時間と捉えてみたいと思います。

そして、学校が再開した時、この期間で気づいたこと、感じたことが、友だちとの関わりの中で、更に新しい発見や価値観の変化に繋がっていくことを楽しみにしたいと思います。

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