礼拝の話

2021/04/30 

4月30日(金) 聖書 イザヤ書 43章4節 英語科 中山

みなさんは言ったことやしたこと、また言わなかったこと、しなかったことで後悔したり、落ち込んでしまったりすることがありませんか。

また、自分の勉強のできや運動能力のなさ、人間関係で悩み、自分にがっかりしてしまったり、自分のことが嫌になってしまったりしたことがありませんか。

私はあります。

私は小さい犬を家の中で飼っています。

散歩、餌やり、トイレの後始末など、色々と世話が必要で「大変」「大変」と言いながらでも飼っています。

それは、その犬がかわいくて、大切に思っているからです。

その犬が私や私の家族のために具体的に何かしてくれることはありませんが、私たちの体調が悪いと心配してくれるので、家族の一員のように感じています。

人間の赤ちゃんはペットよりお世話が大変です。

生まれたての赤ちゃんは昼夜関係なく2~3時間おきにミルクをあげなくてはなりません。

ミルクをそれだけ頻繁に飲むと言うことは、おむつも頻繁に変える必要があります。

また、よく泣くので抱いてあやしたり、病気になったら看病したりすることも必要です。

親は自分では何一つできない赤ちゃんを一生懸命お世話して育てます。

赤ちゃんは親に何もできませんが、親は自分の時間やお金や体力や様々なものを犠牲にしてまでも赤ちゃんを育てます。

それは、その子供に対して愛情があるから、その子供の存在が自分にとって大切なものだと思うからです。

聖書には、この世の中には神さまがいて、その神さまは私たちをご自分の子どものように思っている、そして、私たち人間をかけがえのない大切な存在だと思っていると書かれています。

親が赤ちゃんを大切に思い、育てるように、神さまも私たち一人一人を大切に思ってくれています。

赤ちゃんが親に何もしてあげられないように、私たちも神さまに何もしてあげられませんが、親とって赤ちゃんがとても大切な存在であるのと同じように、神さまにとって私たちは価値のある存在なのです。

そんなことを言っても、私は自分がそれほど価値のある存在だとは思えませんでした。

そんな私でしたが、自分が神さまにとってどんな存在か分かったと思えたことがありました。

それは、私が参加したキャンプで会った家族との出会いでした。

その家族には子供が3人いて、末っ子の女の子は障害があり、人と話をしたり、自分で身支度をしたり、自分でご飯を食べたりすることはできませんでした。

でも、その女の子の家族は、その子を家族の中で一番大切な人として扱っていました。

その子をとても大切な存在と思っていることが見ていてすぐに分かりました。

それは、その女の子がその家族のために何かをしたからでなく、ただ、その子の存在自体が大切だからなのです。

この女の子とその家族との関わりを通して、神さまは私が特別何かができるからでなく、単に私をご自分の子どもとして大切だと思ってくれていることがわかったのです。

私たちは、「自分は〇〇な人間だ」と思いこんだり、「あの人は〇〇な人」という風に自分の価値観や感情をもとにして自分や人を評価したりしてしまいます。

でも、人間の価値は自分で決めるものでも他人が決めるものでもありません。

私たち一人一人は、神さまからかけがえのない存在だと聖書に書かれています。

神さまは自分の都合で人間を評価しません。

神さまは、一人一人のために自分の一番大切なものを犠牲にしてまでも私たちを愛しています。

それは、私たち一人一人がかけがえのない大切な存在だからです。

神さまは、「私はあなたを愛している。私の目にあなたは値高く貴い」と言って下さっているのです。

そして、あなたの周りにいる一人ひとりの人も同様にかけがえのない存在であるということを押してくださっています。

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