礼拝の話

2020/05/14 

5月13日(水)聖書 コヘレトの言葉 3章1~11節 日本基督教団 土佐嶺南協会 鍋谷仁志牧師

新型コロナウイルスの流行への対策のために、例年とは違う年度初めを経験しています。

このことを通して、時間とは取り返すことのできないものなのだなぁということを改めて思わされました。

ここまでの様々な行事や教会での礼拝なども同じように過ぎていきました。

過ぎた時間を巻き戻せるなら巻き戻したいというものが私にもたくさんあります。

時間はある意味で非情だなと思います。

しかし、そのことを悲しいこと、残念なことだとは思いませんでした。

時間は取り戻せないから、私たちは前を向いていくんだと、そう振り切って進むことができるんだと今回のことでそう教えられました。

聖書は、神さまが時間を支配しておられることを私たちに告げています。

今日の聖書の箇所には、私たちにとって良い時も悪い時も、あらゆる時が並べられています。

どれも神さまが備えられた時だというのです。

ならば、どうして悪い時を起こされたのか、どうして?と思います。

それはわからない、としか今は言えません。

私たちには、神さまのなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていないからです。

しかし、ヒントのような言葉があります。

それは「神はすべてを時宜にかなうように造り」という言葉です。

前の聖書では「神のなされることは皆その時にかなって美しい」と訳されていました。

私自身、大きな制限を受けたこの数か月の礼拝の中で、より深く神さまが共におられることを受け止めました。

それは思いがけなく素晴らしいことでした。

神さまがこの悪い時を良い時に変えてくださったのだと、本当にそう思わされています。

休校中のチャペルのためにお送りした原稿の最後にこんなことを書きました。

“いずれ始まる清和で皆楽しく過ごす学校生活を待ち望みながら、今の時もいつか糧になる経験だと受け止めて、今もイエスさまが守ってくださっていることを信じて、安心して過ごしていってください。”

いつもの日常とは違うこの3か月は、特に新入生の皆さんにとっては、不安の中で過ごした日々であったかもしれません。

けれどもその日々も、神さまが一緒にいて守り、共に歩んでくださいました。

イエスさまが取り返しのつかない時間もすべて良いもの、良い時としてくださいます。

そのような経験をこれからの毎日の中でも、一緒に積み上げていきたいと思います。

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