礼拝の話

2020/05/14 

5月14日(木)聖書 マタイによる福音書 6章5~8節 理科 岡村

5月10日の日曜日は母の日でした。

日本では母の日は、日頃のお母さんのいろいろな働きに感謝を表す日とされています。

アメリカ南北戦争時代に負傷兵の世話を献身的にしたアン・ジャービスさんの娘さんが、お母さんが好きだったカーネーションを飾って、教会で記念会をしたことが始まりだといわれています。

私も今年の母の日に感謝の気持ちとプレゼントを贈りました。

もうすぐ定年だ、といって次の人生について前向きに考え努力する母です。

そんな母を尊敬し、大切に思っていますが、中学生の頃は母のことが嫌いでした。

大学生になり親元を離れて初めて、母のやさしさや本当の想いを感じました。

生活全般を支えてくれたこと、つらいときに気遣ってくれたこと、母のありがたさを痛感しました。

そして、それを特に感じたのは、娘が生まれたときでした。

何もわからず不安しかない中で、生まれたばかりの娘は泣いてばかりいます。

なぜ泣いているのか、なぜ私が泣いても泣き止んでくれないのだろう、病気なんだろうか…。

不安とつらさで心が折れてしまいそうなとき、母が教えてくれました。

「お母さんになって、まだ数日なのだから不安で当たり前。私もあなたを生んだ時、成長してく中でいつも不安だったよ。それを当たり前だと思って相談してみたらどう?」

なんだか少し不安が減ったような気がします。

その日から、私は母に思ったことを伝えるようにしました。

今まで思ってきたこと、生まれた娘のこと、いろいろなことを話しました。

その中で、話すことの大切さに気付きました。

それは話すことによって気付かされ、わかることがありました。

そんなふうに話のできる相手がいてくれたらいいですが、いなくても、キリスト教にはお祈りがあります。

お祈りを通して、イエスさまと対話することで大切なことに気付かされます。

今の自分に何が必要なのか、今の自分が何をしなければならないのか。

そして、不安な時に祈ることができます。

ゆるされています。

でも、祈る時に、言葉が出てこないときがあります。

そういう時にはこう祈りなさい、と教えてくれています。

では、皆一緒に主の祈りを祈りましょう。(

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