礼拝の話

2022/05/23 

5月19日(木) 聖書 ローマの信徒への手紙 9章21~23節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

ジャンク・アートという芸術分野があります。「ジャンク」とはガラクタ、屑という意味です。

ジャンク・アートは廃棄物やがらくたを組み合わせて制作する芸術作品のことです。1950年代後半から、ヨーロッパで廃棄物のかけらを寄せ集めた作品を作る美術家が現われ、急速に広がったと言われています。半年ほど前、先進国が捨てた電子ごみを造ってアートを作成している芸術家の方が紹介されていました。その方は、ガーナのスラム街を訪れた時、先進国が捨てた何万トンという量の大量の電子機器のごみが鎮座していた光景を目の当たりにしたそうです。東京ドーム30個を超える広さに放棄された電子機器を住民は電子機器のプラスチックを燃やし、金属を取り出して1日500円ほどの賃金を得ているとのことです。

しかし、廃材には有害物質も含まれているので若くして命を落とす人が後を絶たないという現実があるのです。その美術家の方は、そういった社会問題に対するメッセージを込めて、電子ごみを用いてアートを作成する活動を始めました。

世の現実に目を向けていくことの大切さを改めて教えられます。そして、同時に私はアートの素晴らしさに感動しました。捨てられた電子ゴミから、1つの作品が造り出されるのです。捨てられたものに、命がもたらされる。再生アーティストの技術に驚きを隠せません。

今日の聖書の箇所には「焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。」とあります。最初からガラクタを造ろうと思って造る焼き物師はいません。どの作品も素晴らしいものです。しかし、長く使われる場合もあれば、陰に隠れてしまう場合もあるということです。

私たちの存在は、神の作品であると聖書は教えます。焼き物師である神は、土の器である私たちをどのように用いるのでしょうか。自分は陰に隠れてしまう存在ではないか、私はそのように思っていました。捨てられるガラクタのように思える時があります。「貴くないことに用いる器」のように思える時があります。ですが、本日の聖書の言葉は驚くべきことが書かれています。

「神はその怒りを示し、その力を知らせようとしておられたが、怒りの器として滅びることになっていた者たちを寛大な心で耐え忍ばれたとすれば、それも、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためであったとすれば、どうでしょう。」

神は捨てられていいような器も、愛し、憐れんで、栄光を与えたということです。自分が役に立たないと思っているところも、嫌いなところも、神は愛し、用いてくださるということです。神は究極の再生アーティストです。つまり、私たちはジャンク・アートです。価値がないと思っている部分、コンプレックのある部分にも、価値がある。それが聖書の理解です。弱いところがあって当然です。嫌いな部分があって当然です。それを私たちが、簡単に価値がないと切り捨ててはいけないということです。

そこに無限の価値があるのです。そこに「自分らしさ」があるのです。そのことに気付けるならば、他の人の価値にも気付けるはずです。

遠いウクライナで苦しんでいる人々の命の価値にも目を向けることができるはずです。私たちのすべてを受け入れてくださる神のまなざしに目を向けて、今日の1日を始めたいと思います。

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