礼拝の話

2023/05/23 

5月19日(金) 聖書 フィリピの信徒への手紙 1章9~11節 英語科 畠中

ドイツ文学を代表する作家で、ノーベル文学賞も受賞したヘルマン・ヘッセという人がいます。

そのヘッセが『わがまま』という題名の随筆を書いていますが、その中で彼は、「『わがまま』こそが高の美徳だ」っています。

「わがまま」という言葉を聞くと、自分の好き勝手にやりたい放題をして周りを不快にさせたり迷惑をかけたりする、そんな人を思い浮かべてしまいます。

美徳どころか、どちらかと言えば、あまり良くないイメージです。

けれどヘッセは、「わがまま」とは「われのままの心、自分固有の心」だと言い、わがままな人とは、そうした自分の心に素直に従う人だと言います。

ヘッセが称賛した歴史上の人物の中にイエスさまがいました。

イエスさまもまた、当時のおかしな立法や習慣を守ることよりも困っている人々を助けることを優先しました。

そして十字架につけられました。

ヘッセの言葉は、私たち人間が持つ心は、本来は良いものであるということを示しています。

ヘッセは19世紀後半に生まれた人です。

だから、そんな考えをする人が昔はいたんだとか、それはただの古い考え方の1つなのではないかと思う人もいるかもしれませんが、そうではありません。

これは、いつの時代であっても変わらない、人間の真実の心です。

私たちは今、ネット社会を生きています。

インターネットを扱う大手でGoogleという会社がありますが、その会社は経営方針として”Don’t be Evil”という言葉を掲げているそうです。

これは日本語にすると「邪悪になるな」とういう意味です。

会社はこの言葉を社員に徹底させ、善悪を常に自分の心に問いながら仕事を進めるようにさせています。

そうする限り、法律が後からできても困ることは無いそうですし、逆に、会社が他社と提携しようとした新しいプロジェクトを多くの社員に反対されて断念したけれど、それが後に会社を反道徳経営から救うことになったこともあったということです。

これは多くの社員たちが自分の心の声に従った結果です。

この人たちはヘッセの言う「わがまま」な人たちです。

ここでも、人が持つ心は本来良いものであるということが示されています。

このように、私たち人間が本来持つ心は、正義を愛する良い心なのです。

そのことを忘れずに、自分の心にいつも素直に従って日々過ごしたいと思います。

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