清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2021/05/21
『わらしべ長者』というゲームが一時期流行りました。
物々交換をしていくなかで、最終的に残ったものの価値を競うゲームです。
このわらしべ長者ゲームは日本のおとぎ話がもとになったようです。
何をやっても上手くいかない貧しい男が、運を授けて欲しいと願掛けをすると観音さまが現れ「お堂を出た時に初めて手にした物を大切にして西へ行くように」と言われました。
男はお堂を出たとたん転んで一本のわらしべを手にし、いろいろな出会いの中で1本のわらしべからみかん、みかんから高級な着物という風に物々交換をしていきます。
その物々交換を経ていくうちに、この男の人は大きな家に住めるほどお金持ちになるというお話です。
本当にこの話が伝えたいことは何でしょうか。
自分を男の人に置き換えて考えるより、自分を最初のわらしべに置き換えてこの話を振り返るとどうでしょうか。
わらしべ自体に値打ちはありません。
そのワラが様々な人との出会いの中で実際に値段のつく値打ちのあるものへと変化します。
0だと思っていた価値が10になり、100になり、だんだんと大きくなっていきます。
私自身、このワラのように様々な人との出会いのなかで人生を歩んできました。
私は大学を卒業後、まず民間企業で仕事をしましたが、理想と現実のギャップを大きく感じ、思うように仕事ができませんでした。
自分への情けなさや、未来に対する絶望感、何よりも当時は自分は価値のない人間と思っていました。
そんな時に友だちのお父さんから、「うちに遊びにおいで」と一本の電話がありました。
電話の次の日から荷物をまとめ、高速バスに乗ってその町へ向かいました。
友だちの実家の陶器屋さんでアルバイトをさせてもらいながらその町での生活が始まりました。
友だちのお父さんはアルバイトだけでなく、その町の地域おこし協力隊という仕事も紹介してくれました。
地域おこし協力隊とは東京などの都市に住んでいる住民が少子高齢化の進行が著しい地域に住み、その地域をさまざまな方法で活性化させる仕事です。
その町の地域おこし協力隊の仕事はアートイベントを開催することだったので、彫刻作品や絵画を各地域に設置するため、地域の人たちに了解を得ないといけません。
そのため、地域の人たちとの関わりを持つことが大切なことでした。
そこで地元の祭りへの参加や、町の消防団、町の盛り上げるイベントに参加しその運営も手伝うようになっていきました。
ある時気づきました。
何にもできない、何も価値のないと思っていた自分への地域の人たちの声掛けはとても温かいものでした。
「本当に君が来てくれて助かってるよ」と言われ、少しずつ自分への価値に気づき始めました。
わらしべではない自分がいることに気づきました。
出会っていく人々と誠実に付き合っていった結果が今の自分につながっています。
自分の存在価値を見出すことができました。
失望して、自分に何の価値もないと思っていた私が今こうして教師として働けるのも、失望していた私に友だちのお父さんからあった1本の電話が出発点になっています。
あの電話が私にとってまさに今につながる1本のわらしべでした。
今日の聖書箇所では「あなたは価高く、貴く」とあります。
この言葉は私に必ず何かしらの価値があると思い出させます。
自分の持つ価値を信じつつ、これからも出会いに対し、1つ1つ誠実に過ごしていきたいと思います。