礼拝の話

2023/05/24 

5月22日(月) 聖書 ヨハネによる福音書 15章12~15節 校長 小西二巳夫

宗教に関係のある言葉が野球でよく使われます。

このバッターに打たれたくない、打たれたら負けるという場合に、わざとボール球を4つ投げることを「敬遠」と呼んでいます。

敬遠が何を敬い、何を遠ざけるのかというと、それは神です。

神とは「こわい」ものと昔から考えられてきました。

「こわい」の意味は人間にはかなわない、太刀打ちできない相手ということです。

神と人間の関係を歴史的に変えた人が、新約聖書の福音書に登場するイエスです。

イエスには行動を一緒にする弟子たちがいました。

弟子という言葉の意味は「教えを受ける人」、師匠は「知識や技術を教える人」です。

師匠と弟子の関係を目線で考えると「上から目線」の関係です。

ところが先生の立場にあるイエスは弟子たちを「友」と呼んだのです。

今日の聖書でもイエスは弟子たちを友と呼んでいますが、この場面はイエスが権力者によって逮捕される直前のことです。

聖書を読んでわかるのは、イエスはイスカリオテのユダが自分を裏切り、他の弟子も自分を捨てて逃げ出すことを知っていたということです。

それを知りながら、それでも「友」と呼びかけたのが今日の場面です。

イエスがそのような弟子たちに求めたことはただ一つでした。

それが12節に書かれています。

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」です。

弟子たちが互いに愛し合う、つまり大切にし合うことを求めたのです。

イエスが教えたかったのはこの一言に尽きます。

自分が神から愛されていることをしっかり感じること、そしてその愛に応えるように、お互いに愛し合う、大切にし合う関係を作り出していくことを求めたのです。

イエスが弱く頼りない弟子たちに「友よ」と呼びかけたように、私たちにも「友よ」と呼びかけくれているのです。

その私たちに求めているのは、やはり互いに愛し合うことです。

お互いが友と呼べるような信頼できる関係を作り、ゆるし合える関係になることです。

1か月後に学園祭があります。

清和にとっての学園祭は、それまでの関係を超えてお互いが友呼べる関係に、手と手を取り合って助け合うことのできる自分たちになるための機会でもあるのです。

そのことを忘れず取り組むことで、今年の学園祭は一人ひとりにとって、たいへん意味のあるものになっていきます。

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