清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2023/05/24
母は8年前、父は6年前にこの世を去りました。
それまで当たり前にできていたことが、少しずつできなくなる父を見ながら、私はかなり厳しいことを言っていました。
病状が判明してからまもなくして、父は病院に入院し、ほぼ寝たきりの状態になりました。
この世を去るまでの約3年間、毎日病院に通い父の食事介助や身の回りの世話をした時間は、私にとって幸せな時間でした。
毎日、1時間程度の父と過ごす短い時間は、厳しい言葉を投げかけ続けた時間よりも、はるかに短い時間だったかもしれませんが、私にとってはとても大切な時間、幸せな時間でした。
子どもは歳を重ねるごとに出来ることが増えていきます。
中学生、高校生はまさにそのような時期にあたるのでしょう。
子どもの時は親や周りの大人が手を取り、出来ないことを助けてくれます。
それが中学生、高校生になると、今度はその手を自分から離していきます。
自分の足で立とうとする「自立」に向かっていくのが、皆さんの時期だと思います。
私も幼い頃は色々な人に手を取ってもらい、たくさんお世話をしてもらいました。
思春期に入ると、そのような手を鬱陶しく感じ、本当は必要だったはずの親や周りの人の手を自分の意思で離し、そのくせ出来ないことがあると腹を立て、その原因を親や周りの人にぶつけていたように思います。
他人に向けていた矢印をやっと自分に向けることができるようになったころ、身体の自由が効かなくなった父と母がそこにはいました。
私は一度は離した手を、今度は自分の方から出せるようになりました。
今日の聖書箇所には神が私たちの手をとらえていてくださる、とありました。
私たちが神の手を握る前に、すでに神が私たちの手をしっかりと握ってくれていると、聖書は約束しています。
「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備え」てくださり、私たちは「倒れても、打ち捨てられるのではなく」「主がその手をとらえていてくださる」のです。
たとえ、私たちがその手を離そうとしても、神は決して手を離さずに私たちの歩む道を備えてくださる、と聖書は言います。
私たちの日々の歩みは、周りにいる人はもちろん、目には見えない神の手に支えられていることを感じます。
今日も、たくさんの支えによって歩むことが出来ることに感謝したいと思います。
それと同時に、自分の方からも自然と手を差し出すことのできる、そのような一日を歩むことができればと思います。