礼拝の話

2023/06/01 

5月24日(水) 聖書 詩編 119編71節 日本キリスト教団 高知東教会 益 敏牧師

「卑しめられたのはわたしのために良いこと」と、この詩の作者は言います。

もっと前の聖書では「苦しみにあったことは、私に良いこと」と書かれていました。

私たちは、だれもが、そんなことはないと思うでしょう。

私たちは、苦しみ、悲しみは要らない、苦しみ悲しみを取り去って下さるのが神さまではないかと思います。

でもこの詩人は「卑しめられたこと、苦しみに遭ったこと」、それが自分のために良いことだと言います。

卑しめられ、苦しめられたから、神さまのお言葉を学ぶようになったからだと言います。

星野富弘さんという、中学校の先生をしていた時に、クラブ活動の指導中、首を痛めて手足が不自由になった方がいます。

筆を口にくわえて絵を描き、その絵に詩を添えた作品を発表しています。

そこに行くまでに、星野さんは苦しみました。

星野さんは、死んでしまいたいと思いましたが、死んでしまいたいのに、お腹がすくのです。

その時のことをこう言います。

「自分を生かしてくれる命の力に気づきました。自分が命をコントロールしている、そう思うのは錯覚で、もっと大きな力が私を生かしてくれている。初めは苦しくて辛いことが、自分を生かし、自分を成長させてくれている。とにかく前に、一歩踏み出してみる。そうすれば、花咲く時が必ずやって来ます。」

星野さんは、元気な時には、自分の体は自分のもの、自分の力で生きていると思っていました。

でも、体が不自由になって初めて知りました。

自分の体は、自分のものではなく、自分の命も自分のものではないことを。

自分では生きたくないと思っていても体は生きよう、命の力が自分を生かそうとしていることに気づかされた時、星野さんは知りました。

自分よりも大きな力が自分を生かしているのだと。

苦しくて、辛いことがあったからこそ、命の力が自分を生かそうとしていることを知ったと言います。

だから、星野さんは生きてきました。

体は不自由でも、口に筆をくわえることができ、初めは絵も字もうまく書けなかったのに、少しずつ上手になりました。

自分よりも大きな力に生かされているのだから、自分の中に与えられている命の力に従って、一歩踏み出しました。

そうすると、昨日よりも今日、今日よりも明日、命は成長して行きました。

そして、花咲くように、人の心に届く詩が生まれました。

温もりのある絵が描けるようになりました。

私たちにも、それぞれ命の力が与えられています。そして、花咲くときに向かって必ず成長していきます。

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