清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2021/05/25
先日「子どもの哲学」考えることをはじめた君へ、という本を読みました。
「哲学」という言葉を調べると、“人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。また経験から作り上げた人生観”とありました。
もう少し簡単に言うと、いろいろな物事の“本質”をとらえる働き、ともいえるようです。
その、いろいろな物事の本質について、小学生たちが疑問に思ったことを4人の哲学者たちがいろいろな視点から意見を言っているのが、この本でした。
少しご紹介すると
〈なんのために学校はあるの?〉 〈友だちはたくさんつくるべき?〉
〈どうして勉強しないといけないの?〉 〈頭がよい人ってどんな人?〉
〈「ふつう」って何?〉 〈幸せってどんなとき?〉
〈なぜ考えたくないことを考えてしまうの?〉 〈人はなぜ生きるのか?〉
〈どうして人間はいるのか?〉 〈心はどこにある?〉
〈病気にかかるのはなぜ?〉 〈人は死ぬとどうなるの?〉
このような疑問が小学生から出て、4人が順番に応えているというものでした。
ここでいう「こたえている」は、正解という意味ではありません。
自分が考えていること、考えてさらに次の疑問が出てくることもたくさんで、結局どうなのかなぁと大人の哲学者も悩みながら、小学生の疑問に向き合ったという表現が近いようにも思います。
先程ご紹介したさまざまな疑問は、私たち一人ひとりも考えることがあるのではないでしょうか。
そして、ともすると、私たちはこれらの疑問への「正しい答え」「正解」を求めることが多いように思います。
でも、どうでしょう。
先程の疑問、「正しい答え」「正解」はあるのでしょうか。
あるかもしれませんが、その答えだけが正しいとは限らないことが多いように思います。
答えのない疑問をさらに考え、また新たな疑問にぶつかり、またそれを考え続けていくこと、これが哲学なのではないでしょうか。
そして、いろいろなことを考え続けていくことは、私たちの生活に欠かせないことだということにも気づかされます。
何も考えずに答えだけを求める生活は、誰かの指示がないと生きていけないということになりかねません。
本当はそれではいけないと思いながらも、考えることが面倒で、考えることを他人任せにして日々を過ごしてしまうことは、実は自分を大切にしていないことにつながるのだと思います。
私たちは日々、いろいろな疑問、悩みにぶつかります。
家族のこと、学校のこと、友だちのこと、そして自分自身のこと。
その1つ1つに明確な答えが出ることもあれば、なかなかはっきりとした答えが出ないこともあります。
でも、その考えること、悩むこと、ときにはもうどうしようもないと立ち止まってしまうような思いの先に、私たちが生きるためのヒントが隠されているようにも思います。
先程の疑問の1つに、〈なんのために学校はあるの?〉というものがありました。
「勉強しないといけないからだ」というのも1つの答えだと思います。
しかし、この疑問の応えはこれだけではないでしょう。
学校は、自らが学ぶ力を養うためにあるものです。
私たちが私たち自身として生きるために必要な知識や考え方、人との関わり方、悩むことや苦しいことを通して、体験することを通して、これからの人生を生きるための力をつける場所です。
これは一足飛びにできることではないし、こうしたらできる、ということでもありません。
だから、毎日の学校生活の中で1つずつしっかりと自分自身の課題にむきあうことが大切です。
考えていくことを大切にする毎日を送りたいと思います。