礼拝の話

2023/06/01 

5月29日(月) 聖書 フィリピの信徒への手紙 3章17~19節 校長 小西二巳夫

「超高速参勤交代」というタイトルの映画があります。

登場人物の内藤の殿様は、イエスが最も人間らしい生き方とした「神を愛し隣人を愛する」をそのままに生きているような人でした。

農民や町民など誰に対しても同じ目線で接し、財政難のため家老が年貢を上げるよう進言した時も農民を苦しめるのではなく自分たちが辛抱すればいいと答え、隣の藩が飢饉で困った時には、それを助けるために蔵の中の米をすべて運びました。

何不自由なく育った殿様にも、自分だけの痛みとつらい体験がありました。

内藤の殿様が素晴らしいのはここからです。

自分の痛みや辛い体験が様々な立場の人の痛みに共感できる力になっていることです。

内藤の殿様の共感と目線は時代を超えて今福島に生きる人たちにも響いています。

福島県は東日本大震災によって世界最悪の原発事故を起こした福島第一原発があります。

福島第一原発の事故によって大量の放射能が広い地域にまき散らされました。

これによって避難をした人たちは15万人以上、地震発生から10年経った今も3万人近い人たちが避難生活を強いられています。

放射能汚染のために、先祖代々の家を捨てた人や土地を捨てた人が大勢います。

多くの人に悲しみと痛みをもたらした、そして今もその中に大勢の人が生きていることを、自分のこととして考えないとしたら、私にも足りないものがあることになります。

足りないものが何かを教えてくれるのが内藤の殿様の生き方です。

足りないもの、それは矜持です。

意味はある立場に立った時に持たなければならない誇りというものがあります。

ある立場の人がその立場の人としてどんな時にも忘れてはならないことのことです。

日本は侵略戦争を行いアジアの人の2000万人の命を、日本人300万人の命を奪ったという忘れてはいけない歴史があります。

戦争の放棄を謳う日本の憲法の前文と9条は日本の国としての矜持です。

矜持を持たなければならないのは首相や政府関係者などの責任ある立場の人だけではありません。

この国に今生きる私たちも同様の矜持を持って生きているかを問われているのです。

イエスはそれを「神を愛し隣人を愛する」という言葉で私たちに問うているのです。

私たちはイエスの問いかけにしっかり応えた生き方をすることが求められています。

それをしっかり考える時が学園祭であり、今日から始まる中間試験です。

今日のこの瞬間で言うならば、一つ一つのテストに自分として、恥ずかしくない態度や身だしなみによって臨もうとしているのかです。

落ち着いた態度で真正面からテストに臨もうとしているのかです。

イエスの問いかけに、恥ずかしくない自分でいたい、そして恥ずかしくない一日一日、一週間にしていきたいと願います。

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ