礼拝の話

2021/06/16 

6月16日(水) 聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16~18節 保健体育科 山﨑

挨拶の言葉はいろいろありますが、1日に何回、挨拶の言葉を発しているか数えている人は恐らくいないでしょう。

幼いころから「挨拶をしなさい」「挨拶をしましょう」と言われ、今はそれが当たり前になっていますが、なんでしなければいけないのか、面倒だ、と思った時期もありました。

なぜそう思ったかと考えると、だいたい、納得のいかないことがあったり、イライラしていたり、挨拶することに必要性を感じていなかったりしたからだったように思います。

インストラクターとして働く中で、うまくレッスンが行えず、お客さんがどんどん私のレッスンから離れていったとき、挨拶の大切さが身に染みて分かる出来事がありました。

「キャリアもない私にあるのは、若さと元気さだけ。だからレッスンの最初と最後の挨拶くらいは元気よく行い、レッスン中に間違っても、元気よく笑い飛ばして、気にせずいこう」と心に決めました。

翌日、お客さんをニッコリ笑顔で迎え、一言二言挨拶を交わすと、お客さんの方からも話かけてくださるようになりました。

インストラクターは技術だけでなく、お客さんと心を通わせることが大切なのだ、ということを学び、その第一歩が挨拶なのだと感じた大きな出来事でした。

このことは教員になってからも、そして今でも私の中に活かされています。

数年後、別の場面で、ある人が挨拶について、次のようにおっしゃいました。

「挨拶というのは、あ:明るく、い:いつも、さ:先に、つ:続けて、するのが当たり前なのですよ」と。

この話を聞いた時、ストンと心にその言葉が落ちてきました。

挨拶は、きっと、その言葉自体に意味があるからするというよりも、それを発することで、人と人との心の距離が近くなる、だから必要なのではないかと思います。

今日の聖書箇所にあるように、喜び、祈り、感謝する、というのは、誰かと相対するからこそできることです。

誰かのために喜び、誰かのために祈り、誰かに感謝する、その一歩がすんなりと歩みだせるように、互いに「明るく、いつも、先に、続けて」挨拶を交わし、心を通わせる日常が当たり前になっていくことを願い、今日1日を始めたいと思います。

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