礼拝の話

2021/06/18 

6月18日(金) 聖書 マタイによる福音書 6章22~23節 理科 寺田

よく目は大切にしようと言われますがなぜでしょう。

それは私たちが1番多くの情報を手に入れているのは目であるからです。

人の顔を見て誰であるかを判断したり、横断歩道を渡る時に危険が無いことを確認したりします。

そんな目にも種類があります。

その1つとして心の目があります。

心の目とは相手の感情を見極めることができる目です。

嬉しさや悲しみを受け取って一緒に感じることもできます。

心の目がくもったり、にごったりしてしまったら、人の気持ちを感じ取ることもできません。

相手が何を思っているのか分からないと相手のやることが許せなくなってケンカになることもあるでしょう。

そして、自分の気持ちまで沈んでいってしまいます。

今日の聖書の箇所は、体のともし火は目であると言っています。

さらに、目が澄んでいれば、全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗いとも言っています。

では、心の目がにごってしまったときにはどうすれば良いのでしょうか。

この問いに対してイエスさまは答えていません。

ということは自分で考えないといけません。

私が考えたのは祈るという方法です。

祈る時には目を閉じて祈ります。

目を閉じると集中して祈ることができます。

心の中で神さまと対話をすることで自分の持っていた考え方が変わっていきます。

別の見方ができるようになっていきます。

モヤモヤしていた気持ちがスッキリしてきます。

スッキリした気持ちになっているその時には心の目は澄んでいます。

そんな目をしていたら周りの人も嬉しい気持ちになると思います。

体に火がともって全身が明るくなっているからです。

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