礼拝の話

2024/07/04 

6月27日(木) 聖書 ルカによる福音書 22章27節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

この前、犬に育てられた少女についての動画をYouTubeでみました。

1983年に今のウクライナで生まれた方の話でした。

この少女は、親が育児放棄をして愛されることなく育ち、その後、施設に入れられたのですが、その施設でもだれにも愛してもらえませんでした。

誰にもかまってもらえなくて、唯一彼女に愛を示したのが犬だったのです。

それで彼女は犬小屋で犬と暮らすようになり、人間の言葉ではなく犬のように吠えて、四足で歩くようになったのです。

やがて彼女のことが広く知られるようになって、専門家に引き取られ、ちゃんと愛を持って育てられ、今では人間の言葉を喋って生きていらっしゃるということです。

犬に育てられた、ということがもう衝撃ですが、色々なことを考えさせられました。

つまり、愛してくれない人間よりも、愛してくれる犬のほうが良い、ということです。

人間はそれほど愛を求めて生きているということです。

人間には愛が必要なのです。

私たちは最初から愛し合うように造られたからです。

それがうまくいかないから、多くの人は悩んでいるのだと思います。

今から60年くらい前ですがアメリカがベトナム戦争の泥沼にはまっていた時のことです。

ある兵士は毎日「殺せ、殺せ!」と敵を打ち殺す訓練を受け、「敵は人間ではない」と言うことを洗脳されて戦場に送り込まれるのです。

ところが、その兵士がある防空壕に入りますと、そこでベトナム人の一人の少女が今、出産しようとしていました。

その様子を見てその兵士は、思わずその出産を手伝ってしまったのです。

手を差し伸べて新しい命を取り上げた時の衝撃を、彼は後にこう語っています。

「毎日殺すことを教えられていたが、新しい命については何も教えられていなかった。あの防空壕から出たとき、私は全く別の人間に生まれ変わっていた」。

そして彼はこうも語っています。

「死の体験ではなく、生の体験こそが、暴力ではなく平和を求める真の力になる」。

これはアメリカの平和運動家、アレン・ネルソンさんの言葉です。

私たちは兵士のように「相手を人間と思うな、殺せ!」などと言う洗脳を受けたことはありませんが、似たような方向性の言葉にいつの間にか支配されているということはあるのかもしれません。

人は競争したり争ったりするために生きているのではありません。

人間は、愛し合い・助け合い・共に生きるように存在しているのです。

学園祭で清和に来られた方々のために動かれていた皆さんの姿はとても素敵でした。

私自身もイエスのように人に仕えながら生きてきたいと思わされました。

命を大切にする生き方は、「仕える」ことから始まっていきます。

私たちの本来の姿である互いに愛し合い・支え合い・共に生きる交わりへと、今日も押し出されていきたいと思います。

学校生活の様子

学校生活一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活|中学校一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ