礼拝の話

2019/06/07 

6月6日(木)聖書:マタイによる福音書6章26節 社会科 山脇

校舎の裏にびわの木があります。

何もしていないのに毎年きちんと実をつけます。

この時期になると、玄関のプランターのパンジーが毛虫にかじられます。
黒とオレンジのグロテスクな毛虫ですが、きれいな蝶になる幼虫です。
パンジーはこの幼虫にとって、格好のエサのようです。

そして、毎年、この時期になると、カモのつがいが学校前の田んぼに現れます。
田んぼの中を歩きながらエサを啄み、気持ちよさそうに日向ぼっこをしている姿を、よく目にします。
自然の中に生きている植物や動物は、何もしなくても、その場所、その時期に姿を現します。

数年前、この聖書箇所を礼拝で話した時のある生徒のコメントがとても印象的でした。
「鳥は人間より価値がないのでしょうか。人間は他の生き物より、そんなに偉いのかな。私は、決して鳥が人間に劣るとは思いません。人間のように、欲のために争ったり、破壊したりすることのない動物や植物は、人間よりも優れているかもしれないと思います。」というものでした。
凄く感性の豊かな生徒だと思いましたし、その通りかもなぁ、と思いました。

確かに聖書には「あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか」とありますが、これは、人間が他の動植物よりも優れているということをいっているのではないと思うのです。
神さまは花を美しく咲かせてくださるし、生き物たちを養ってくださいます。
優劣をつけているわけではなく、花や鳥に必要な物を与える神は、自分の姿に似せて創造した人に対しては、なおさら必要な物、必要な場所を、必要な時に与えてくださる、と言っているのだと思います。

私たちは、欲しいものが得られず、自分の思い通りにならない時や、うまくできない時に、不満や不平を口にします。
時に自分を否定的に捉えたり、誰かと比べて劣等感を覚えたりします。
しかし、それでも神様は、私たちに必要な物、必要な場所、必要な時を与えてくれているのだと思います。
空の鳥、野の花を養われる神様は、私たちをも養ってくださっているということを心に留め、与えられた一日を大切にしたいと思います。

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