礼拝の話

2021/06/08 

6月8日(火) 聖書 ヘブライ人への手紙 11章1節 音楽科 三浦

1913年、今から100年以上前に書かれた「少女パレアナ」という本があります。

両親を失い、孤児となったパレアナが気難しいおばさん(お母さんのお姉さん)に引き取られます。

彼女は1つずっと続けていることがありました。

それは、牧師だったお父さんから教えてもらった、どんなことからでも喜ぶことを探し出す“何でも喜ぶゲーム”でした。

その状況だけをパッと考えたら文句を言いたくなりそうな現実や、ある意味不遇な現実を、パレアナは前向きに受け取ろうとしていき、実際にいろいろな出来事を前向きに考える力を自分自身に培っていくことになります。

そのパレアナを見て、おばさんの頑なな心はだんだんとほぐれていき、また町の人たちの心を明るくしていきます。

私たちはどうでしょう。

私たちは、実は他の人からしたら、とても恵まれた状態にあるにも関わらず、自分の思い通りになっていないある一部分を取り出して、文句を言うことがあるように思います。

世の中は、自分の思い通りにならないことだらけです。

でも、そんな思いを超えて、私たちの周りには、よいことがちりばめられているように思います。

それを見つけることができる感性が私たちには必要なのだと思います。

藤城清治さんという90代後半の影絵作家がいます。

戦中、戦後いろいろな苦労がありつつも、ここまで歩まれてこられた藤城さんは、2011年の東日本大震災の被災地を訪ね、気仙沼の陸地に打ち上げられた大型船、南三陸町の津波に襲われ鉄骨が折れ曲がった防災庁舎、福島第2原発周辺の風景をスケッチし、絵、また影絵にされました。

これは、この出来事を、今この時代を生きている者としてこれを書き残さなければならないという思いからだったと言います。

復興に向けた未来への希望を思うとともに、放射能で戻ることができない現実も知るなかで、できることはなんなのかを自分自身へと問いかけているようでもありました。

この藤城さんとパレアナに共通していることは何だろうかと考えました。

それは、“共に生きる”ということなのだと思います。

パレアナは“何でも喜ぶゲーム”をしていましたが、なんでもかんでも勝手に、楽観的に喜んでいたわけではありません。

日常のちょっとしたことをプラスの発言に変え、相手のよいところや恵まれている部分をさりげなく“喜ばしいことだね”“嬉しいこと”と伝えていくことで、その心傷つき、喜ぶことを忘れてしまっている人や喜ぶことがいけないことかのように思っている人たちを支えていきました。

藤城さんは、自分が作品を作り発表することで、戦前・戦中・戦後を通して、子どもたちを楽しませたり、当時戦争に駆り出されていた人々の心を癒したりしながら、その時代、その時代を、人々と共に歩んできました。

そのような思いを感じることが出来るからこそ、私たちは彼の作品に心癒され、パレアナの物語を長く読み継いでいるように思います。

今は新型コロナウイルス感染症問題に私たちは日々悩まされていますが、そのような中でも、今、この時に、このことと共に生きることを考えることが必要なのだと思います。

もう慣れてしまったから、もうどうでもよいから、ということではなく、どうしたらこの環境の中でも私たち自身として生きることが出来るのか、どのように私たち自身として歩むことが求められているのかを考えることができるのではないでしょうか。

私は人生は答えがない答えを探す旅だと思っています。

今日考えたことが正解かどうかはわかりません。

でも、今日しっかりと考えたことで明日が見えます。

今日を今日1日としてしっかり歩むことが私たちには求められているのだと思います。

それぞれの課題にしっかりと向き合い、今日という1日を過ごしたいと思います。

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