礼拝の話

2021/06/14 

6月11日(金) 学校記念日礼拝 聖書 マタイによる福音書 28章59~62節 校長 小西二巳夫

清和の創設者、アニー・ダウドさんは120年以上前にアメリカから日本にやってきました。

彼女は恵まれた家庭で子供時代を過ごし、貧しい生活をしている人たちにイエス・キリストの救いを伝えたいという夢がありました。

その夢を実現するためにやってきたのが、高知です。

26歳の時でした。

当時、ダウドさんも周りの人も日本のことをほとんど何も知らなかったはずです。

ということは、それは現代の宇宙旅行に匹敵するような大旅行だったと言えます。

まったく知らない未知の世界である高知に旅をしたのです。

ダウドさんが高知で出会ったのが2人の貧しい少女でした。

ダウドさんには2人の少女の持っている痛みや悲しみが見えたのです。

2人の痛みや悲しみを一緒に背負うことを自分の使命だと考えたのです。

これをキリスト教では「出会う」といいます。

出会いのチャンスを神が与えられたと考えるのがキリスト教です。

今日の聖書は、イエスが遠くに出かけていくことになる弟子たちに贈った言葉です。

これから始まる弟子たちの冒険旅行が厳しいものであることは明らかでした。

弟子たちが出会うのは、痛みや悲しみをもって生きている人です。

イエスは弟子たちにその人のところに行きなさいといわれた理由は何でしょうか。

それは、そこに生きる人が、イエスによってすでに救われていることを伝えるためです。

それと同時に、出かけていく弟子たちが生きる痛みと悲しみをもった人と出会うことによって、人間として本当の豊かさ、幸せがどこにあるのか、わかることができるからです。

弟子たちは旅をすることによって、人生の喜びに出会うことになるからです。

そして、その旅には20節の言葉のように、最後の最後までイエスが一緒にいてくれることが約束されているからです。

弟子の体験は、そのままダウドさんが高知に旅をしてきたことと重なります。

他者の痛みと悲しみに出会うことなしに、本当の豊かさと幸せに出会うことはできない、それを清和創立120年の今日、学校記念日礼拝の時に共に心に刻みましょう。

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