清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2019/06/15
留学先で聖書を読み始めた私は、他の人に比べたら自分はかなり正しい道を頑張っている、という自信がありました。
自分は正しいという変な自信です。
聖書を読んでいて「神は愛です」というのは「お~っ」と思います。
神さまが私たち人間をご自分の形に造られた、それなのに人は罪に堕ちてしまったとか、「う~ん、なるほど」と思うところはたくさんあるんです。
ただし、イエス様がわからない。
愛の人、正しい方、愛の筋を通す人だということもわかります。
超リスペクト!!俺もそうなりたい!!と思いました。
けれど、そのイエス様が十字架にかかって、自分のために死んでくれたというのがわかりません。
なぜ死ななければならないのか。
なぜ死んでもらう必要があるのか。
私はこんなに頑張って聖書を読んで、愛の人になろうと思ってるし、他の人に比べたら…と、どうしても自分の頑張り意識が邪魔をするんです。
イエス様が私の罪が赦されるために身代わりに私の罪を背負って、私の裁きを受けて、私の代わりに死んでくれた、だから神は愛だ、という聖書の福音が嫌でした。
頑張ったら罪は赦されるだろうと信じていたからです。
そんなある日、「これ一緒に読まない?」とスコットが「四つの法則」という小冊子を持ってきました。
第1:神さまは私たちを愛している
第2:しかし、人は罪を犯して神さまの愛に生きられない
第3:そこで、罪によって引き裂かれた神さまと人間の破れた関係の溝に、神さまは十字架の架け橋を渡して、人が神さまの愛に生きられるよう救いの道を開かれた
第4:そして、誰でもこの十字架のキリストを信じるなら、神さまの永遠の愛と救いの命に生きられる
一緒に読んでからスコットは「イエス様を幸生の救い主として受け入れる祈りをしない?」といつもの優しい目でいいました。
その時に私が答えた言葉は今でも覚えています。
But I think I don’t need Jesus.(でも俺、イエスさまを必要としていないと思う)
スコットは一瞬がっかりした目をした後、いつもの優しい笑顔で、わかったと肩をたたいてくれました。
続きは来週お話しますが、その私がなぜここで皆さんに愛の話をしているのか。
それは、その愛が「マジで人を変える愛だから」です。
その愛の力のもとに私たちはいます。
その力を信じてよいのです。