礼拝の話

2020/06/15 

6月15日(月)聖書 フィリピの信徒への手紙 3章12~16節 校長 小西二巳夫

西前頭17枚目という幕内最下位の地位での優勝した徳勝龍という人がいます。

明徳義塾高校出身の33歳、本人もまさか優勝できるとは思っていなかったようです。

優勝インタビューでは「自分なんかが優勝していいのでしょうか」と。

優勝候補の強い力士が何人も途中で休場したり、14日目、千秋楽と徳勝龍自身がいうように、人生で最高の相撲が取れたりしましたが、運が良かったとしかいいようがありません。

それでも、徳勝龍が優勝したことに確かな理由があるとしたら、それは1つです。

相撲を取るのが楽しくて仕方がない、そういう表情がにじみ出ていました。

相撲を楽しむことを目標にした、そのことが優勝につながったのだろうと思います。

NHKで「グレートトラバース日本二百名山一筆書き」というものがありました。

アドベンチャーレーサーの田中陽希さんが北海道から鹿児島県までの8,000kmを200日以上かけて、一切の交通機関を使わず100の山を登るという番組です。

それぞれの山には一般の登山者の参考になるようにコースタイムが設定されていますが、田中さんはその半分から3分の1の時間でクリアします。

この挑戦で田中さんが目標にしていることは、お正月を実家で過ごす、ということでしたが、残す山が4つになった時にこのペースではお正月を実家で過ごすことができないことがわかったのです。

時間を稼ごうと走り出し、島根県の三瓶山に向った田中さんは「お鉢回りをしよう」とつぶやきます。

その瞬間、田中さんが田中さんらしい表情を取り戻したように見えました。

お鉢回りとは、男三瓶1つだけ登れば名山はクリアできる三瓶山の4つの頂をすべて登ることです。

予定時間を大幅に超えることがわかっていながら、なぜ登ると決めたのでしょうか。

田中さんは山に登ることの原点が何かを考えたのです。

山の魅力は登るにつれて周囲の様子が変わっていく、それを楽しむことです。

植物、気候、風景、様々なものを楽しむために登るのですが、できるだけ早く登ろうとするとそういう楽しみは捨てなければなりません。

田中さんは登ることを楽しむことが山登りの本来の目的であることに気づいたのです。

お正月を実家で過ごすという目標が山に登る楽しみを奪うことに気づいたのです。

今日の聖書の箇所でパウロという人が目標について書いています。

一見、目標を目指して何事にも我慢しなさい、あれこれ文句を言わないで少しでも努力しなさい、といわれているようです。

パウロは自分ではよくわからないけれど、「キリスト・イエス」に捕らえられている、と書いています。

イエスに捕らえられるとは、一人で頑張らなくてもよい、たとえ一人に見えたとしても、孤立しているのではない、ということです。

救い主イエス・キリストが必ず自分に寄り添ってくれているということです。

イエスが寄り添ってくれることに気づくとは、生きる意味を失わない、ということです。

私たちはしんどさや辛さのために、生きることの楽しさを忘れがちになります。

そういう人たちに、パウロは生きる楽しさを感じながら、今を生きている私を見なさいというわけです。

パウロのようになるということは、毎日に生活の中に学ぶことがたくさんある、それを楽しめる、ということです。

清和は学びの楽しさを体験するために作られました。

みなさんはその学校で過ごしています。

今週もまた新しい学びの生活が始まります。

寄り添ってくれるイエスを意識しながら、学校生活そのものを楽しみましょう。

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