礼拝の話

2022/06/17 

6月17日(金) 聖書 ヨハネによる福音書 9章2~3節 英語科 菅田

学園祭まであと8日となりました。

毎日の授業や小テスト、部活などに加えて学園祭の準備があるので、余裕がなくなってきた人もいると思います。

自分の思っていた理想とは違うと焦り始めます。

そうなると友だちとの行き違いの気まずさでギクシャクします。

そしてそれらの不安は無意識に苛立ちにもつながります。

一生懸命になった時に思わず出てくる言葉に相手を傷つけるものがあります。

今どうなっているかを確認するための言葉であっても、一生懸命になりすぎて語調が強くなり、怒っている印象を与えてしまうことがあると思います。

またそれは言葉を発した方は気が付かない場合が多いです。

普段は気にしない言葉でも、学園祭の準備の中では言われた方は考え込んでしまいます。

学園祭のように何かにみんなで取り組むことで言う方も言われる方もいっぱい、いっぱいです。

言葉によって傷つくこととは逆に、何気ない一言に救われることもあります。

今日の聖書箇所では弟子たちがイエスに目の見えない人について尋ねている場面です。

当時は目が見えないというのはその人が罪を犯したから目が見えなくなったと考えられていましたが、イエスは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と答えました。

イエスが答えた内容は弟子が質問した答えになっていないように感じますが、イエスの言葉が弟子たちに対してではなく、「この人」と言われているその人に対しての言葉だったらどうでしょうか。

目の見えない人がこの言葉を聞いた時、自分の存在を受け入れられたと感じたと思います。

イエスの使った言葉にその人が救われました。

言葉には力があることがこのことからもわかります。

高2BではSDGsの「つくる責任つかう責任」をテーマに学園祭に取り組んでいます。

いろいろなことを考えながら準備を進めると、のテーマは世界中の食糧問題や環境問題と密接に関わっていることがわかります。

そして、ここで私たちはつくる責任ではなく、圧倒的につかう責任の立場にいることに気づきます。

「つかう責任」には言葉をつかう責任もあるでしょう。

言葉の持つ力、言葉の持つ力が人に与える影響がどのようなものかを考えることで言葉の力を活かせるようになります。

励ます言葉や相手に寄り添った言葉を使えるようになることは平和を作り出す一歩です。

今回の取り組みを通して気づいた、言葉を使うことの責任を大切に、日々を過ごしたいと思います。

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