礼拝の話

2021/06/02 

6月2日(水) 聖書 詩編 36編10節 家庭科 青柳

私は、このチャペルの空間がとても好きです。

1日の始まりのこのチャペルは、大きい空間なのに穏やかな空気が流れ、パイプオルガンの音色や、窓の外の風景など私の心を落ち着かせてくれます。

そして、もう一つ、大きなステンドグラスです。

ステンドグラスとは、色のついたガラスを鉛の線でつなぎ合わせたもので、中世のキリスト教教会において数多く使われていました。

当時の教会は、天井が高いものが多く、高い窓から差し込む光が森の中の木漏れ日を表したと言われ、その静けさの中で神に祈りを捧げていました。

だから、チャペルは心が落ち着き、1日を始めるのにとても良い空間なのだと思います。

ステンドグラスが教会で活発に使われた理由は、より効果的に布教するためだと考えられています。

私たちは聖書を文字で読みますが、中世の庶民層には文字を読める人はそれほど多くありませんでした。

そこでステンドグラスを使い、聖書の物語を絵にすることで、文字が読めない人にも聖書の内容を分かりやすく伝えようとしました。

そして、太陽の光が差しこむことで、芸術的なステンドグラスを通して降り注ぐ光が、人々により聖書の言葉を心にしみわたる効果があったのだと考えられています。

ステンドグラスはその日の天気や時間によって光の差し込み方が代わり、見え方が変わります。

晴れの日は、全ての色がはっきりと強い光で差し込みます。

曇りや雨の日も、晴れの日ほど光は強くなくとも光は差し込んで、晴れの日とは違った良さがあります。

天気だけでなく、時間帯によっても違った見え方があります。

私は朝のチャペルのも好きですが、夜のチャペルもとても好きです。

暗い夜でも、月明かりが差し込み、真っ暗なチャペルにステンドグラスの光がとてもきれいに映ります。

むしろ、暗い夜の方こそステンドグラスの光は周りが暗いからこそ強くはっきりと見ることができます。

これは、私たちの生活にも当てはまるのではないでしょうか。

私たちは日々、楽しい時もうれしい時も、悲しい時もつらい時もいろいろな時を過ごしています。

楽しかったり嬉しかったりする時を太陽の出ている朝や昼に、辛くしんどい、お先真っ暗、どん底だというときを暗い夜に例えてみます。

朝も昼も夜も、どんなときにもステンドグラスは光を差し込んでいるように、私たちの生活もまた、どんな時も神さまの恵みや守りがあるのだと思います。

そして、辛く悲しい、どん底と思うときほど、周りが暗く光りなんて見えないと感じる時にこそ、神さまに守られているのだと思います。

ステンドグラスから差し込んだ光は、私たちの足元に投影され、いつでも暗闇でも私たちが迷わないように、忘れないように、光続けてくれているのだと思います。

自分にはどうしてこんなつらく、悲しく、大変なことが起こるのだろうと悩むことは誰でもあります。

そんな時、足元には投影された光が、そして顔をあげると降り注ぐ光がきっと支え導いてくれるのではないでしょうか。

日々の歩みの明るい時も、暗い時もステンドグラスの光のようにいつも神さまがともにいてくださり光を与えてくれていることを忘れずに、今日という1日を歩んでいきたいと思います。

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