清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2019/06/27
生まれて初めて本気を出したのにダメで、挫折した私の前に聖書が映画のシーンのようにワッと目に飛び込んできたという話の続きです。
“こんな時にはここを”というページの案内に従って聖書を読んだけれど、何も心に響きません。なのに、めくる指は止まらず、次は?他には?と探していて出会ったのが、今朝の御言葉でした。
これを読んで、私、とても腹が立ったんです。ムカッとしました。
イエスさま、どこにおるが?どこに行ったらいいか、わからんやないですか?俺リアルで現実で辛いのに、どこに重荷を降ろしたらいいんですか?信じたいのにわからない!どうしたらいいんですか?どうにかしてください!
と、本当にいるか、いないかもわからないイエスさまに腹を立てて、俺本気で怒っていると思って、あぁもう俺は本当にバカや!!とベッドに倒れ込んで…。
そうしたら、あれ?と。
気づいたら、さっきまで死にそうなくらいに重かった重荷が、あれ?…ない?。
どこかにいってしまったんです。
これはイエスさまに思いが通じたろうかと思って、ならば感謝しなければしないといけないかなぁと思って、聖書を開いて読んだんです。
その時です。
信じていたけれど遠かった神さまの愛が、十字架につけられたイエスさまを通して、目の前に迫ってきたのを感じたのです。
正直どうしようと思いました。迷いがありました。
でも、あのスコットがくれた小冊子を探して、以前「一緒に祈らない?」といわれた祈りを祈りました。
特に天使の歌声は聞こえませんでした。光も差し込んできませんでした。
けれども確かにイエスさまは今、私の心に入ってきて下さった、という何とも言えない温もりが心にありました。
赤点の事実は変わらないし、英語もテキストも大変なのも変わらないけれど、夜、あるきながら空を見上げたら、満点の星の向こうから神さまが、天の父が「幸生、愛しているよ」と笑ってみてくれているように思えて、心が軽いんです。
嬉しくて口元が緩んで「神さま、ありがとうございます」と小さく手を振ってみたりして、ヤバイ人になってました(笑)
その愛のもと、今日も始めましょう。