礼拝の話

2024/07/04 

7月1日(月) 聖書 ローマの信徒への手紙 1章20~23節 校長 小西二巳夫

先週の日曜日「越後・奥三面」という記録映画を観ました。

記録映画「越後・奥三面」は今から40年前の1985年に作られました。

朝日村がある新潟県の上の方の地域は豪雪地帯です。

積もった雪の高さが毎年数メートルにもなります。

その中でも奥深い山の中にある奥三面は特に雪の多い地域です。

その奥三面に40年前当時、42軒の家があり150人が住んでいました。

映画は奥三面の1年の生活を紹介していました。

映画を観終わってハッとさせられたことがあります。

映画の中で一番多く紹介されていたのが「つくる」場面だったからです。

何を作るかと言えば、私たちが買うことによって手に入れる食べるものです。

野菜、お米、豆類など食べるもののほとんどを畑で作ります。

キノコや山菜は山や森に自分の足で歩いて行き、自分の手と指で採ります。

キノコ採りや山菜採りで使うカゴは自分で編みます。

動物を捕るために雪をかき分けて山の中に入りワナを仕掛けます。

その際に、雪から体を守るため一番上にはおる蓑は自分たちで作ります。

そのような暮らしは不便で貧しいように思いがちです。

けれど記録映画に登場する奥三面の人たちの表情は豊かです。

そこでの生活を一言で表現すると「平和」です。

平和だから子どもも大人も声を出してよく笑います。

平和だから自分が作ったおにぎりや山菜を本当においしそうに食べます。

隣のお年寄りの家に持って行くために、初めから食事を多い目に作ります。

それを子どもたちが楽しそうに届けるのです。

表情が豊かな理由が記録映画からわかります。

それは「心」が動いているからです。

心が動くのは、毎日の生活の中で自分の手と指をしっかり動かしているからです。

自分の足を使って歩き走るからです。

そうすると、逆のことが考えられます。

心が動かなくなると平和がどのようなものかわからなくなります。

もし便利さやAI人工知能の進化と共に人間が本当に進化しているとしたら、結局は多くの人に悲劇と不幸をもたらす戦争や紛争を引き起こすはずがないのです。

そういう時代に生きる私たちにとって、自分の手や指、そして足を意識的に動かすことがいかに大切かを記録映画「越後・奥三面」は教えてくれます。

時間をかけて話し合いや準備をして、先日に行った学園祭は私たちにとって、手と指、そして足、さらに頭の中を動かす時であったと言えます。

学園祭に取り組んでいる時の一人ひとりの表情は間違いなくいきいきして豊かで、笑い声が響いていました。

模擬店で売られているものをおいしそうに食べていました。

清和が行事をおざなりにしないのは、そして、そこに時間をかけるのは心をしっかり動かせる人になることを願うからです。

その先にある平和を手放さないためです。

そして来週から始まる1学期期末試験も大切な行事の1つです。

そうすると、清和がなぜ期末試験に真剣に取り組むのか、その意味の深さがわかってきます。

すべては、主イエスの言葉「平和をつくり出す人は幸いである」、その実現のためだと言うことです。

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