礼拝の話

2024/07/23 

7月11日(木) 聖書 創世記 12章1~3節 日本キリスト改革派 山田教会 高内信嗣牧師

先週から、日本の紙幣が新しいものになりました。

5000円札の図柄に選ばれたのは津田梅子です。

梅子は幕末の1864年、東京で生まれ、6歳の時に最初の女性留学生としてアメリカに遣わされました。

そして11年間、アメリカのランマン夫妻の家で育ち、9歳の時、ランマン夫妻にキリスト教の洗礼を受けたいと打ち明け、フィラデルフィアにある教会で洗礼を受けました。

彼女の留学期間は10年でしたが、本人の希望で1年延長され、17歳の時に日本に戻りました。

けれども、まだ明治15年の時代、女性の社会進出がほとんどない時代です。

アメリカで11年間暮らしたため、英語は堪能でしたが、日本語が不自由な梅子に居場所はありませんでした。

梅子はその後、伊藤博文の家の家庭教師を経て、華族女学校の英語教師に就任します。

そして、梅子は25歳の時に二度目のアメリカ留学を果たします。

日本で英語を教えていた梅子はよりよい教師になるために、大学で学ぶ必要を自覚し、ブリンマー大学に留学して素晴らしい教師たちと出会います。

梅子は、帰国直前に研究のために残ることの依頼を受け、梅子の目の前に研究者としての輝かしいキャリアの道が開かれましたが、梅子は自分の研究を続けたいという思いを脇に置き、誘いを振り切って、28歳の時に日本に帰国します。

十分な教育を受ける扉が開かれていない日本の女性たちを思っての決断です。

そして、梅子は日本で、「女子英学塾」を創設します。

梅子はブリンマー大学学長のケアリ・トマスに「女子英学塾」創設の資金援助を頼みました。

梅子が頼れる存在は、日本にはほとんどおらず、アメリカの友人たちでした。

ブリンガー大学で築いた人間関係が、創設期の梅子の学校を経済的に支えました。

二度目の留学から帰ったのは梅子自身の意志で、使命感によって帰国しました。

また、経済的に支えたブリンマー大学の人々も、梅子を日本に遣わす、という思いを持っていたのではないか、と思います。

彼女は、十分な教育を受ける扉が開かれていない日本の女性たちのために、「遣わされた」。このような言い方の方がいいかもしれません。

今日選んだ、聖書箇所はアブラハムが遣わされる場面です。

今朝の御言葉から、私たち一人ひとりにも「使命」があるということを覚えたいと思います。

必要のない人間、価値のない人間、そんな人は一人もいません。自分を卑下する必要はありません。

私たちには必ず、この「世界」のために役割が存在しています。

私は小さな存在ですが、この清和で「役割」が与えられたことに感謝しています。

そして、私は9月から千葉県の教会に移動することになりました。そこは保育園が併設された教会です。

9月以降は小さな子供たちと触れ合いながら自分の役割を果たしていきたいと思っています。

みなさん、一人ひとり、これから様々な道に進まれると思います。そこにみなさんの「役割」があります。

それぞれに与えられた「使命」があるということを覚えたいと思います。

さらにアブラハムは「世界のために」、梅子は「日本の女性たちのために」遣わされました。

私たちの使命はいつも利己ではなく「利他」と大きく結びつきます。

他者のために私たちは生きています。

私たち一人ひとりに与えられた「使命」を見つめつつ、これからも誰かのために遣わされていきたいと願っています。

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