礼拝の話

2024/07/23 

7月16日(火) 聖書 マタイによる福音書 26章63~68節 社会科 山脇

私は夏休みといえば高校野球「夏の甲子園」をイメージします。

甲子園が開催される時期はお盆の時期と重なることと、同時に戦争で亡くなった方を偲ぶ時期とも重なりますので、「慰霊の夏」でもあるといえます。

1945年の今日7月16日は世界で初めて核兵器の実験が行われ、成功した日です。

アメリカで行われたこの実験は、「トリニティ」という実験名で知られます。

ニューメキシコ州ロスアラモス研究所を中心に進められた核兵器の研究は、原子爆弾という形で世に現れました。

1945年7月16日、実験に用いられた原子爆弾は、のちに長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」と同型のものでした。

この日から世界は「核の時代」に入ったといわれます。

様々な事柄が運命のように絡み合う状況や、表面上は全く関係ないと思われた出来事が複雑に絡み合い、歴史を左右する大きな出来事になる時に、「歴史の綾」という言い回しを使います。

太平洋戦争の開戦と敗戦にいたる経過を見ると、まさに歴史の綾と思ってしまうことがいくつもあり、日本の太平洋戦争開戦から敗戦にいたる過程を見ると、まさに「歴史の綾」だと思わされます。

ただ、そのような言葉で簡単に片づけられないほど、数多くの人々が犠牲になったことは忘れてはいけません。

昨年アメリカで『オッペンハイマー』という映画が公開され、アカデミー賞で7部門を受賞しました。

この映画は第二次世界大戦中、アメリカで進められた核兵器開発計画、通称マンハッタン計画の科学部門の責任者で、ロスアラモス研究所の初代所長であったロバート=オッペンハイマーを題材とした映画です。

彼は、自分たちが作ろうとしている核兵器が、現実世界では使用されることはないと考えていたといいます。

戦後、オッペンハイマーの弟は、「兄は現実世界では使用できない兵器をみせることで、戦争を無意味にしようと考えていた」と語っています。

しかし、実際には原子爆弾は投下され、その後も核兵器開発は続きました。

オッペンハイマーは1945年の今日、原子爆弾を完成させたことを、後年後悔しています。

彼は古代インドの聖典『バガヴァッド=ギータ』の一文を引用して「世界はそれまでと変わってしまった。我は死神なり、世界の破壊者なり」と語っています。

太平洋戦争終結から19年後、広島で原子爆弾の被害を受けた方々がアメリカを訪問した際、非公式ではありますが、オッペンハイマーと面会しています。

この時、オッペンハイマーは被爆された方に対して「ごめんなさい、ごめんなさい」と涙を流しながら謝罪を繰り返したこということが、立ち会った通訳の証言で明らかとなりました。

「広島・長崎のことは話したくないので勘弁してほしい」と言ったオッペンハイマーの姿に、背負っている重荷をひしひしと感じたと、通訳の方の手記には書かれています。

「歴史の綾」のように、予想していた結果とは全く正反対の結果につながってしまうことや、自分の思いとは裏腹に、全く違った方向へと進んでしまうことは、私たちの日常にも絶えず起こりうるのだと、今日、原子爆弾が完成した7月16日に改めてそう思わされます。

今日の聖書箇所には、自分たちが思っていた救い主ではなかったと、イエスを裁判にかける人々の姿が描かれています。

私たちは日頃の生活のなかで、その時の結果だけで判断してしまうことがよくあります。

どうして上手くいかないのかと悩んだり、思い通りに行かなくて苦しんだりすることもあります。

そのような時でも、そこに神の導きがあり、その時の経験がやがて喜びにつながることを今日の聖書箇所は教えてくれているように思います。

様々な出来事、事柄のなかで私たちは日々の生活を歩んでいますが、その時の結果だけで物事を決めつけずに、必ず神の導きがあることを信じて歩んでいきたいと思います。

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