礼拝の話

2024/07/04 

7月2日(火) 聖書 マタイによる福音書 5章8~9節 音楽科 三浦

先日6月23日、79回目の沖縄慰霊の日を迎えました。

この日には、糸満市摩文仁の丘で沖縄全戦没者追悼式が行われます。

毎年、そのなかで沖縄県内の小中高生たちの作品から選ばれた詩が読まれます。

今年は、宮古高校の3年生の方が詩を読まれました。

沖縄本島ではなく、離島に暮らす自分が、平和の思いを語ってよいのかという葛藤があったといいますが、それでも詩を書いた思いには、怒りがあったといいます。

ロシアとウクライナへの侵攻やパレスチナ自治区ガザへの攻撃などから、「戦争が過去のものではなく、現在も続いていることが悔しくなった」といいます。

この詩のタイトルは「これから」というものです。

平和をずっと願い続ける決意を題名に込めた、といいます。

「平和を祈ることは微力かもしれない。自分ですべては解決できないけれど、全員が祈れば戦争は避けられる」と話します。

みなさんと同年代の方の言葉です。

そして、わたしたちはキリスト教学校で、毎日の学校生活を、この礼拝で始めています。

わたしたちがしなければならないことは、祈り続けることです。

平和を創るために何ができるかを考え続けることです。

この方が言っているように「微力かもしれない」です。

でもこの絶え間ない祈り、そして小さな事柄の積み重ねが、いつか平和を築くことになると信じることが求められています。

期末試験を前に、みなさんはなぜこんなことを学ばならないのか、と思うことが多くあるのだろうと思います。

でも、学ぶことの意味は、ここにあるのだと思います。

中高生の時代にしっかりと頭を動かし、手を動かし、心を動かした学びは、そうそう簡単に自分の中から消えていくことはありません。

中高を卒業してからもう20年以上が経っていますが、今はっきりと言えることは、「あの時代が今のわたしを創っている」ということです。

中高生での学びが、大人となったわたしを支える材料になっている、ということです。

日々の学びが、平和を創ることになるのであれば、しっかり学ぶ以外にありません。

今日1日も、平和を創るための祈りを続け、また学びの機会としていきましょう。

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