礼拝の話

2021/07/21 

7月21日(水)終業礼拝 イザヤ書 2章12~27節 校長 小西二巳夫

新型コロナウイルス感染問題が起こって1年半が過ぎようとしています。

新型コロナウイルスに感染しないための方法でまず言われるのは、ソーシャル・ディスタンスをとることです。

できるだけ、他の人と接しないように、集まらないように、と言われます。

そう聞くと、なんとなく、他の人との距離をとることと思いますが、本来距離をとるべき相手はウイルスです。

そのウイルスを誰が持っているかわからないから、自分以外の人と距離をとりなさい、となるのです。

そこで改めてわかることがあります。

人間にとって、距離をとるという行為と感覚が、いかに大切かということです。

あらゆることにおいて、距離をとることが生きていくためには必要だということです。

とるべき距離をとらずに近づきすぎた時に、人と人の間ではケンカが、国と国との関係においては戦争が起こります。

人間は、この距離をとる、ということが下手なのです。

聖書にも、人間の距離のとり方がいかに下手なのかがあちこちに書かれています。

聖書は、人間がいかに距離のとり方が下手かを教えてくれると同時に、その下手さをどうすればカバーできるかも教えてくれます。

人間が神に近づきすぎないように、つまり傲慢にならないように、自分中心にならないようにするために、間にイエス・キリストという存在をおいたのです。

私たちを含む人間が身勝手さから十字架にかけて死なせてしまったイエス・キリストのことを思い浮かべることで、自分の考えや行動に間違いがないかを考える時間をもつことになるのです。

そこで、お願いや助けてほしいというお祈りをする時、キリスト教は必ず「イエス・キリストのお名前によってお祈りします」という言い方になるのです。

人間のお祈りは、どんなに気をつけても、自分中心になりがちです。

それでは神にお祈りの中身を聞いてもらえるはずがありません。

それをイエス・キリストを通すことによって、聞いてもらえるようなものに変えてもらうのです。

明日から、長い夏休みが始まります。

夏休みは、何事もまぁいいかと思いがちな季節です。

距離のとり方を間違いやすいのが夏休みです。

そこでしっかり自覚したいのが日本の文化と習慣です。

それが新型コロナウイルスを含めたあらゆるものとの距離をきちんと保ってくれます。

外から帰ったら手足をきれいにして中に入る、食事の前には手を洗う、食べながら話さない、台布巾と雑巾のように上のものと下のものを区別するように、あらゆる物事に「けじめ」をつけることです。

それが毎日の生活を心地よくしてくれるのです。

心地よい、きれいに生活をする、それが何より私たちを守ってくれるのです。

私たちが生きるために必要な距離として、イエス・キリストが与えられているのです。

お互いの夏休みが守られ充実したものになるように祈りましょう。

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