礼拝の話

2021/07/06 

7月1日(木) エフェソの信徒への手紙 5章16節 高知聖書教会 柿谷信実伝道師

私は長野県に6年間住んでいました。

そのうち、5年間は苗木会社に勤め、リンゴやブドウの苗木を作っていました。

出荷される苗木は木というより枝のようで、1つのリンゴの実がつけば、枝はしなって折れてしまいそうな細さです。

しかしその木が成長すると、いくつもの箱をリンゴでいっぱいにします。

たくさんの実をつけるようになるまでには数年かかります。

けれども苗木にはその将来が詰まっているのです。

大きく育った木にたくさんの実がなることを想像するとき、そこに希望を見出します。

明日世界が終わるという失望の中にいても、小さな希望に目を向ける時、私たちは今日という日を前向きに生きていくことができます。

たとえそれが最後の日であったとしてもです。

最後の日だからこそ失望の中にではなく、希望の中を生きるという決断は私たちを失望から救います。

聖書が示す希望とは、イエス・キリストによる救いです。

救いとは、神から離れてしまった私たちが神のもとへかえるため、道となってくれたイエスさま信じることです。

この希望はある人にとっては価値のない無駄なことに見えるかもしれません。

けれども、一見無駄と思える小さな希望こそが私たち一人ひとりを救う希望なのです。

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