清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2021/07/14
「旅する練習」という小説があります。
小学生の亜美と小説家の叔父がの話です。
サッカー大好き少女の亜美は、小学校が休業になり時間ができたので、リフティングをしながら鹿島スタジアムに行くことを計画しました。
その道中、まったく別の目的で鹿島スタジアムに向かっている大学4年生のみどりと出会います。
中高大、就職内定と何もかも順調に来ているように見えるみどりですが、自分で考えて実行した、という記憶がありませんでした。
「私も誰かを応援するだけじゃなくて、誰かが応援せずにいられないような、そんなかっこいい生き方ができたら、もう少し自分を好きになれたかもしれない」と亜美に話します。
すると亜美が一言「みどりさんのこと大好きだよ。みどりさんが自分を嫌いになっても、あたしは大好きだよ」。
みどりは旅の途中で亜美たちに出会い、それまで他の人に話せなかったことをあれこれ話し、亜美はみどりが他の人からかけてほしかった言葉をかけてくれたのです。
出会い、というと自分より年上の人と考えますが、必ずしもそうではないことが「旅する練習」からわかります。
みどりは年下の亜美の言葉から自分の人生を受けとめ直すことができたのです。
自分の人生をすべて肯定してもらえたと思えたことにより、マイナスにしか思えなかったこともすべて意味があるとわかったのです。
自分を受け入れられなかった、それを受け入れてもらったと確信したのです。
イエスに出会った人たちもこのみどりと同じような言葉をかけられたのではないかと思いました。
自分のすべてを肯定してくれる、受け入れてくれる一言に出会うことの大きさを感じます。
そういう瞬間をもつことができたら、それがそれからのその人の人生を支える大きな力になるわけです。
その出会いと、どこで出会うことができるでしょうか。
それは小説のタイトル「旅する練習」からも明らかです。
旅をすることによって、です。
旅をすることによって、大切な出会いと出会うことができるのです。
旅といっても、それは単に旅行をするということではありません。
キリスト教は人生そのものが旅だと考えています。
生きていることそのこと自体が、旅することだと考えるのです。
ということは、自分にとって必要な出会いは必ず用意されているということです。
マイナスに思える出来事や誰かの嫌な言葉の向こうに、大切な出会いが用意されているのです。
そう考えると、1日1日がワクワクしてきます。