清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2022/07/19
「あとは自己責任でお願いします」という言葉について、少し分析してみたいと思います。さまざまことを行ってみたけれど、問題が解決できず、相手は納得していません。そこで、新たな方法を提案しますが、この方法は失敗するかもしれません。失敗すれば、責任を問われます。「どうすればいいだろうか」と少し思いを巡らして、口から出てきた言葉が「あとは自己責任でお願いします」。
この言葉によって、発言者に本来あるはずの「責任」を、相手に手渡した、本来やるべきはずのことを、途中で投げ出したのです。「自己責任」とは、誤解を恐れずにいえば、ただの「責任逃れ」です。どう考えても、言われた相手は納得しないと思います。しかし、「自己責任」という言葉の持つ力は強いです。「何をしてもいい」という「行動の自由」が与えられます。一方で、「問題が起こったら、どうしよう」と思う気持ちが生まれます。このことから、行動しにくくなってしまいます。完全な板ばさみの状態に置かれることになります。この言葉のように、相手の発言や行動を、意図的に封じ込めてしまう言葉が多くあるように思います。
話し合いや議論の場で、このような言葉が出てくると、話が途中で終わってしまいます。「話す意味がない」と思い始め、話すことをやめてしまいます。話すことがなくなれば、話す内容を考えることもなくなります。やがて一部の人達の意見のみとなり、話し合いや議論が終わります。ただ「一部の人達の意見」が「正しい」といえるものであれば、まだいいのかもしれません。だが、多くの場合、そのようなことはないでしょう。このことが重要な場面で繰り返されてしまうと、「真理」「真実」を覆い隠してしまうことにつながります。
ヨハネによる福音書には、「初めに言があった」とあります。言葉は、神さまがこの世界をお造りになられる時から、存在しているものです。そのような言葉を、人間は受け取り、今に至っています。言葉は、人間が物事を考えるときの手段です。また、誰かに自分の考えを伝えるときの手段でもあります。
1学期の終わりに、さまざまな活動が用意されています。大切なこと、「真理」に近づくためには、言葉の力を使わなければなりません。ただ自分一人の言葉の力では心もとないかもしれません。しかし、私たちは独りではありません。周囲にいる、さまざまな人たちの言葉にも耳を傾けましょう。
それぞれの活動が、より豊かなものとなりますように、精一杯取り組んでいきましょう