礼拝の話

2022/07/19 

7月13日(水) 聖書 箴言 23章23節 国語科 田野

「あとは自己責任でお願いします」という言葉について、少し分析してみたいと思います。さまざまことを行ってみたけれど、問題が解決できず、相手は納得していません。そこで、新たな方法を提案しますが、この方法は失敗するかもしれません。失敗すれば、責任を問われます。「どうすればいいだろうか」と少し思いを巡らして、口から出てきた言葉が「あとは自己責任でお願いします」。

この言葉によって、発言者に本来あるはずの「責任」を、相手に手渡した、本来やるべきはずのことを、途中で投げ出したのです。「自己責任」とは、誤解を恐れずにいえば、ただの「責任逃れ」です。どう考えても、言われた相手は納得しないと思います。しかし、「自己責任」という言葉の持つ力は強いです。「何をしてもいい」という「行動の自由」が与えられます。一方で、「問題が起こったら、どうしよう」と思う気持ちが生まれます。このことから、行動しにくくなってしまいます。完全な板ばさみの状態に置かれることになります。この言葉のように、相手の発言や行動を、意図的に封じ込めてしまう言葉が多くあるように思います。

話し合いや議論の場で、このような言葉が出てくると、話が途中で終わってしまいます。「話す意味がない」と思い始め、話すことをやめてしまいます。話すことがなくなれば、話す内容を考えることもなくなります。やがて一部の人達の意見のみとなり、話し合いや議論が終わります。ただ「一部の人達の意見」が「正しい」といえるものであれば、まだいいのかもしれません。だが、多くの場合、そのようなことはないでしょう。このことが重要な場面で繰り返されてしまうと、「真理」「真実」を覆い隠してしまうことにつながります。

ヨハネによる福音書には、「初めに言があった」とあります。言葉は、神さまがこの世界をお造りになられる時から、存在しているものです。そのような言葉を、人間は受け取り、今に至っています。言葉は、人間が物事を考えるときの手段です。また、誰かに自分の考えを伝えるときの手段でもあります。

1学期の終わりに、さまざまな活動が用意されています。大切なこと、「真理」に近づくためには、言葉の力を使わなければなりません。ただ自分一人の言葉の力では心もとないかもしれません。しかし、私たちは独りではありません。周囲にいる、さまざまな人たちの言葉にも耳を傾けましょう。

それぞれの活動が、より豊かなものとなりますように、精一杯取り組んでいきましょう

学校生活の様子

学校生活|中学校一覧へ

学校生活|高校一覧へ

学校生活一覧へ

礼拝の話一覧へ

中学・高校 学年の通信から一覧へ

クラブ活動一覧へ

▲ページトップへ