礼拝の話

2021/07/13 

7月13日(火) 聖書 イザヤ書 55章2~3節 英語科 中山

15年程前に、アメリカのクリスチャン大学生が自分たちで作った劇を見ました。

その劇、「本当の幸せとは」というもので、心に満たされない思いを抱えていた一人の若い青年の話です。

寂しさ、虚しさ、やるせなさを取り除くために彼は一生懸命勉強し、友だちと遊び、働き、大切な人に出会い結婚しますが、どれも彼の心を満たしてくれるものはありませんでした。

そんなとき彼は、神さまと出会い、あるがままの自分を受け入れてもらえたことによって、初めて、深い安心感を得ることができた、というお話です。

この話はお芝居ですが、私たちも、彼のように満たされない思いを感じたことがあるのではないでしょうか。

私たちは生まれつき、心に満たされない思いを持っているから、幸せを求めるのではないでしょうか。

その心の穴を埋めようとて、お金や仕事や結婚が私たちを幸せにしてくれると信じて、一生懸命それを追い求めるのではないかと思うのです。

もちろん、お金や仕事や友だちや結婚は私たちを幸せにしてくれると思いますが、お金にも、友達にも、仕事にも、結婚にも、劇の中の青年が体験したように、限界があるように思います。

神さまに出会う、つまり、神さまを信じて、神さまに頼るようになっても、辛いことや悩みはあります。

でも、どんな時でも自分を支えていてくれる神さまがいることが心の支えになり、心の穴が癒されたことを感じることができるのです。

そして、自分では乗り越えられないことを乗り越える力が湧いてきたり、逆に、辛いことを受け入れる気持ちが出てきたりします。

清和での毎朝のチャペルや聖書の時間に聞いている神さまは、私たちの人生を変える力を持っている方です。

決して私たちを失望させることがなく、決してなくならない安らぎ、平安を私たちに与えてくださる方だと信じています。

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