清和女子中高等学校。創立113年の高知県の私立女子校。キリスト教主義の中高一貫校です。
2019/07/18
自分の高校時代を思い出すことがあります。
楽しくもあり、思い悩みもした、濃密な3年間でした。
今でもつらつらと思い出せるのは、自分を否定的にしか思えなかった出来事ばかりです。
けれども、あとから振り返ってみることで初めてわかることもあります。
出来事自体は変わりようがありませんが、その意味合いが変わってくるのです。
旧約(ヘブライ語)聖書の創世記の結びにヨセフ物語があります。
30ページに及ぶスケールの大きな物語です。
このヨセフという人は様々な試練や困難に遭遇します。
しかし、その1つ1つが悪いことやマイナスに終わらないのです。
神の計画という、まだ見ぬその先のために必要なこと、布石、つまり必要だったものへと、その意味が変わっていくのです。
そんなヨセフのことを、聖書は神が共にいる人として描きます。
そして、私たち一人ひとりもまた、自分の思いや願望とは必ずしも同じではない、神の計画に活かされていることが物語られています。
ヨセフは長い年月を要しましたが、かつて自らに悪事を働いた兄たちとの劇的な再会を果たし、12兄弟の和解という神の計画の実現を果たします。
その波乱に富んだ人生を振り返って兄たちに語ります。
「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」
悪にしか思えないこと、マイナスにしか受け止められないことも、神の計画においては、それだけに終わらない。
そして、これらが今の自分にとって必要なことだったのだと、心から思える日が必ず訪れる。
このように自分や社会を見つめるまなざしを持ちたいものです。
自分では否定的にしか思えないことも、後になって振り返れば大切になることがあります。
思い通りにいかないことが、いつの日か必要なことだったと受け入れられる日が訪れます。
ただ、今の私たち自身の受け皿や判断がちっぽけなだけ。
それだけ、神さまの計画はスケールが大きいのです。